「取引先を増やす予定ってあるの?」
「これから少しずつ増やすよ。もし俺の仕事がなくなったら恭子が食わせてくれよ。その代わり、恭子の仕事がなくなったら俺が食わせるから」
「えーっ、竜也が専業主夫? 想像すると笑っちゃう。でもいいよ。そうしよう。二馬力の方がなにかあったとき心強いもんね」
冗談で交わした会話がまさか現実になるとは、あの頃は夢にも思わなかった。
ここ1年ほど、竜也は家に生活費を入れない。散財しているわけではなく、貯金すらしてこなかったため、本当に困窮極まっているからだ。
――こういうときにこそ、私が支えなければ。
恭子は決め、生活費の件には触れず竜也を支え続けてきた。父が経営する会社が傾きかけた昔、母がパートで家計を助けながら子育てにも家事にも尽力する背中を見て育ったからである。
――でももう、限界かもしれない。
半年ほど前から、恭子は真剣に離婚を考えるようになっている。
約束が違うからだ。
今は恭子が竜也を養っている。フリーランスだから年ごとに年収のばらつきがあるが、最低でも800万以上、平均すれば1000万という恭子の年収は、自分以外にもうひとりの大人をゆうに養える金額である。
夫婦の形が逆転しても恭子は一向に構わなかった。ただしそれは、養う代わりに養われる相手が家事をしてくれればの話。
竜也は仕事が激減しても、炊事、洗濯、掃除の家事全般に一切、手を出さなかった。恭子は稼ぎ頭である上に家事全てをこなさなければならない。
激務の時期は自宅の掃除が行き届かず、洗濯物が溜まり、使った食器がシンクに放置されたままの状態になることもある。その荒れたありさまを目の当たりにしながら、なにもせず平然としていられる竜也の顔を見るたび、苛立ちが募る。
苛立ちたくないため恭子は竜也の顔すら見たくなくなり、時折こうして事務所にひとり残り、酒を飲む。
膿んだ関係から目をそらしているだけと言われればそのとおりだが、まだ二度と会いたくないほど憎んでいるわけでもない。だから、踏ん切りがつかない。
「わたし、子供を産むつもりはないよ。それでもいいの?」
ある事情があって結婚前に恭子が伝えたあの日、竜也はあっさりと受け入れてくれた。
「ふたりが幸せならいいじゃない」
その言葉に恭子は、懐の深さを感じたものである。あの日を思い返すと、幸せだった頃の記憶が次々に蘇る。
すると竜也から電話が鳴った。
「未読スルーしないでよ。今日、大事な相談があるんだ。確実に仕事を増やせるチャンスが巡ってきたんだよ!」
確実に仕事を増やせるチャンス? 興奮気味な竜也の声を聞く一方で、恭子は嫌な予感を覚えつつ「解った。もうすぐ帰るから。」と言って電話を切った。
次回:4.16 土曜 更新予定
文/内埜さくら
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