2016.04.03
週末婚2016 Vol.1一級建築士である諒介にとって、デザインのアイディアを刺激してくれる存在というのは、何よりも大切なことだ。
理帆子は、大学のゼミの4つ上の先輩にあたり、出会ったのはちょうど4年前、研究室のOB会でのことであった。
理工学部の建築学科、というのは未だ女性は少なく、ただでさえ女性がOB会に来ているだけでも目立つのであるが、既にフリーのプロダクトデザイナーとして活躍していた研究室の卒業生の中でも格段に有名であった理帆子が遅れて来た時、諒介は視線が奪われた。
彼女のファッションは洗練され、メイクは、肌の白さ、日本人離れした彫りの深さを際立たせるように施され、存在そのものが放つ空気が理帆子のまわりだけ明らかに異なり、燦然と輝くオーラを放っていた。また、彼女の美しい唇から発せられる芸術的な言葉の数々に圧倒され、魅了された。諒介が理帆子に惹かれない理由など無かった。
週末婚三周年記念日は、理帆子のリクエストで、六本木のフレンチ『ル スプートニク』を予約していた。なんでも、理帆子が連載を持っている雑誌の編集者から紹介された店だという。
予約の時間より10分ほど遅れて、理帆子がやって来た。
今日の理帆子は、オフホワイトのややワイドなパンツに、同じオフホワイトのこちらは華奢なボディラインが強調されるようなブラウスを合わせ、トップスとボトムスのフォルムのコントラストが美しい。バッグは、赤のエルメスのケリーを合わせていて、洋服が白で統一されているので、その鮮やかな真紅が一層際立ち、諒介の視線は釘付けになる。
「結婚記念日なのに、遅刻しちゃってゴメンナサイ。クライアントとの電話が長引いちゃって。イタリア人ってほんとルーズで嫌になっちゃうわ。」
この後理帆子は、ミラノに飛ぶことになっている。現地時間であさってから開催されるミラノでの世界的なデザイン展に現地イタリアの家具メーカーと組んで共同名義で出展することになっているためだ。
その直前なのだから、結婚記念日はミラノから帰ってきてからお祝いしようと、諒介は提案したのだが、理帆子は頑として譲らなかった。
「私たちが夫婦になってちょうど3年の記念日よ。3周年の記念日はもう一生ないんだもの。」あらゆる意味において、理帆子はそこらの平凡な女たちとは違っているが、記念日を大切にするようなところは案外普通っぽいところもあるかもしれない、などと自分だけが理帆子の意外な一面を発見できたような気がして、少しだけ嬉しくなる。
店は、六本木の表通りの喧騒が嘘のような、静かな裏通りにあった。店名の由来は「同行者、旅の連れ」だそうで、これからも夫婦という名の良き旅の連れでいて欲しい、という理帆子からのメッセージかもしれない、などといささか青臭いことを思った。
理帆子を待つ間、諒介はこの3年間を振り返っていた。
あれからいくつかの季節が巡ったが、理帆子の提案を受け入れ、週末婚という、いささか特殊ではあるが、今は自分たち夫婦らしいと思える結婚をしたことに対し、心から良かったと諒介は思っている。
理帆子が暗示していた通り、お互いの仕事は多忙を極めていたし、もし平凡な結婚生活のように一緒に生活をしていたら、3年目を迎える今日の日をこんなにも新鮮な気持ちで迎えることはできなかったかもしれない。
ロゼのシャンパーニュで乾杯し、お互いの近況を簡単に報告し合い、前菜が運ばれてくる前にソムリエにワインの相談をしようかと考えていると、理帆子が何かを企む際に見せる蠱惑的でいたずらな笑顔で微笑み、
「諒介、今日はね、サプライズがあるのよ。」
「サプライズ?」
「そうサプライズ。プロポーズしてくれた時以上に驚くかもしれないわ。」
諒介にも少なからずあるパーソナリティの一種ではあるが、斬新なデザインで人を驚かせたいという職業的な特性は、より理帆子の方が顕著であった。そしてその差は理帆子と諒介とのキャリアにおける差をそのまま表しているのかもしれない。
「離婚しましょう。」
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