2016.04.03
週末婚2016 Vol.1「週末だけ一緒に過ごす結婚、週末婚にしましょう。」
3年前、「この女性なしでは自分の人生は成立し得ない」と初めて思えた女性、理帆子にプロポーズした時、彼女から返ってきたのはまたしても、予想だにしない言葉だった。理帆子の提案はいつも諒介の予想を超えてくる。
「勘違いしないでね。一緒にいたくないということじゃないの。ただ、毎日一緒に寝食をともにする、ということだけが夫婦の形ではないと思うの。それに日常という濁流に飲み込まれることの恐ろしさって、宇宙で一人漂流するのと同じくらい、ううん、きっとそれ以上に違いないわ。」
そうして諒介と理帆子の週末婚生活が、スタートしたのであった。
映画が趣味の諒介にとって、劇場で映画を楽しむというのは、ある種の精神安定剤であったので、プロポーズを予定していたその日、決戦のディナーの前に理帆子を映画に誘っていた。
その当時、アカデミー賞候補になっていた、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニー主演の「ゼロ・グラビティ」を見て、気持ちを落ち着けてからプロポーズを決めようと思っていたのだが、理帆子は諒介のそんな緊張をよそに、その日の映画の内容を上手に織り交ぜながら、プロポーズへの返事をクールに返してきたのだった。
理帆子という女性は、聡明でウィットに富み、仕事を愛し、そして美しかった。
また、言葉が巧みで、諒介が想像し得ることを遥かに超える言葉を投げかけ、諒介の感性はいつも理帆子によって揺さぶられ、刷新された。
そう、感性。
アイディアが勝負である一級建築士の諒介にとって、女性に求めるたった一つのことは「感性を刺激してくれる」ということだけだった。理帆子と一緒にいる時間はいつも刺激的で、またプロダクトデザイナーというクリエイティブな仕事をしているところも諒介と共通点があり、“彼女とは大切な何かを共有できている”という感覚を持つことができるのだった。
その意味において、理帆子ほど、自分の感性を刺激し続けてくれる女性は今までにいなかった。
例えば、あれは付き合い始めたばかりの頃だっただろうか。お互いに映画が共通の趣味だということが分かり、どんな映画を好むのかと理帆子に問われた時、正直なところは派手なアクション映画など典型的なハリウッド大作系ばかりしか諒介は見ていなかったのであるが、ちょっとばかりカッコつけて、
「ミニシアターはよく行くかな。ハリウッドよりは、フランスとか東欧のちょっと暗く湿った感じのテイストが好きなんだ。」とハッタリをかましたのである。
が、それに対し理帆子は、「そうなのね。私も自分で映画を観に行く時はミニシアターばかりなの。言語と文化って密接な関係があるじゃない?同じようなセリフだったとしてもね、英語圏で製作された映画と、フランス語やロシア語で製作されたものだと、匂い立つものが全然違うの。」
理帆子はさらに饒舌に続ける。
「私たちはものを創作する仕事だけど、創作する過程でも、出来上がった作品でも、それを語るには必ず言葉が必要でしょ?どういう言葉を選択してそれを語るかによって、作品そのものがまったく違うものに見えることもある。
だから、創作者というのは直接的に言葉を使う仕事ではないけれど、言葉に対する感受性は常に磨き続けていかなくちゃいけないと思うのよ。」
理帆子が仕事に対して、あるいは世界そのものに対して語り始めると、それまで諒介に見えていた世界は彼女から紡ぎ出される言葉によって、時に広げられ、時に彩色が鮮やかに変えられていくかのようだった。
例えて言うならば、正面から見ると漆黒の長方形だったものが、上から見ると、真紅の円であったかことが分かるかのように、理帆子は諒介の世界への眼差しそのものを変えてくれる存在だった。
理帆子のものを創作する才能はもちろん、その美しい唇から発せられる時に芸術的、時に学術的でもある言葉のセンスを世間が放っておくはずもなく、デザイナーとしての仕事の他に、フィガロ・ジャポンで世界中の優れたデザインを紹介するコラムを結婚して間のなくの頃から持つようになってもいた。
彼女と諒介とのキャリアの差はどんどん開いていったが、諒介は理帆子の成功を夫として心から誇らしく思っていたのだった。
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