婚外恋愛 Vol.10

婚外恋愛:月夜の三田にて、今を生きる蒼太とノスタルジーに浸る。

前回までのあらすじ

34歳、既婚者の”私”は、妻子持ちの結城の社交的な印象とは異なる内面に、不思議と惹かれていた。パークハイアットから望む美しい夜景を目の当たりにし、夫である蒼太が海外赴任の関係で離れて暮らしていた際、精神的に追い込まれていた過去の記憶が蘇ると、結城との情事に迷いが生じるが、ついに一線を越えてしまう。

第9話:天空のジャズバーにて、幾多もの光の粒子に包まれる。


「かんぱーい!今年もよろしくお願いしまーす!」
5つのビールジョッキが目の高さで輪を描く。

「結城本部長、うちの由香がまた無理にお誘いしてしまったようで、すいません!」
「無理に?そんなことないよ。前回呼ばれて飲んだ時に、新年会もって言ってくれていたしね。」

ひと回り近くも年下の男女と楽しそうに会話す結城さんがいる。この光景は初めて結城さんと宴席を共にした10月の時と変わらないのに、まるで違う景色に見える。そう、あの日から全ては始まったのだ。

別れ際、地下鉄に向かってエスカレーターを降りていく皆を見送り、結城さんと私はブリックススクエアの地上階を出て、JR東京駅へと向かった。彼の自宅は大井町線の九品仏駅が最寄り駅だ。でも、それを知っている人は数少ない。誰かに聞かれても、うまくはぐらかしている。

「私達って、お付き合いしてる、って言いますか?」
肩を並べて歩く結城さんに、少し酔った勢いで改まったように質問してみる。

「そうだと思ってるけど?」
不敵な笑みを浮かべて、彼はそう答えた。



三田へ無性に行きたくなった。蒼太と新婚生活を始めた地。羽田空港まで行って夫を送り出しては、寂しさを押し殺しながら自宅までの道のりを幾度も行き来した。

「懐かしいなぁ。阿佐ヶ谷に引っ越して以来だね。」
JR田町駅の改札を出て、蒼太と手を繋ぎながら三田口へ向かった。手を繋いで歩くのは、結婚してから今でもずっと変わらないことだ。

「なんか昔を思い出すね。あれ?ここにあったお店、変わったんだね。」
「ほんとだ。変わったんだね。」

ぽつりぽつりと小さな会話を交わしながら、慶応仲通り商店街をゆっくりとそぞろ歩く。一通り周辺を歩き終えると、私達の足は小さな路地の奥へ奥へと吸い込まれる。フランス国旗が掲げられた店の扉の前。ここは、鉄板焼きビストロ『黒鉄(くろがね)』。

店内に入ると、左手のキッチンスペースを囲むように、木製のカウンターが逆L字の如く二方向へ伸びている。帰宅時間が同じくらいになる時、ふたりここに並んで座っては夕食を共にしていた。

コートを脱ぎつつ予約名を伝えると、当時と同じ席へ案内され、なんとなく安堵した。右手に配置された飾り棚に、“ちぐはぐなあの子達”が陳列されているか気になり一瞥する。インドの民族衣装サリーに身を包んだマトリョーシカが大小8体、今も変わらず家族みたいに並んでいた。

いつも決まって一番初めにオーダーするシャルキュトリー3種が、カウンターにそっと置かれる。木製プレートに上品に盛られたそれらの中で、私は鴨肉と豚肉を使ったパテ・ド・カンパーニュを特に好んだ。

南仏のワイナリーで造られたレ・タンヌ オーガニックのまろやかな味わいと共にそれを堪能しているうち、ほんのりと愉快な気分になった。殆どビールしか飲まない蒼太に向かって、人生勿体ないと、冗談まじりに魅惑のブドウジュースを飲むようけしかけると、頑固な男は、これが一番好きなの、と言って、再び生ビールを注文した。

気を取り直し、カウンターの向こう側の、聴覚と嗅覚を刺激する音と匂いに意識を集中してみる。極寒の夜中に降ったかのような繊細な霜を纏った牛肉が、銀色に輝く鉄板の上で小さく弾みながら熱を取り込んでいる。

彩り豊かな焼き野菜と共に提供されたたそれを、蒼太は嬉しそうに口に運んで咀嚼しては、黄金の液体と一緒に喉の奥へと流し込んだ。

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