婚外恋愛 Vol.9

婚外恋愛:天空のジャズバーにて、幾多もの光の粒子に包まれる。

前回までのあらすじ

34歳、既婚者の”私”は、妻子持ちで10歳年上の結城を気になり出したきっかけが分からずにいた。しかし、3回目のデートの際、感情をうまく表現できずにいる結城の不思議な佇まいに惹かれていることに気が付く。子を持つ実姉に憧れつつ、彼の深層に踏み込んで行きたいと願う“私”が観能の後、ふたりで向かった先は・・・

第8話:揺らめく蝋燭の灯りの中で、どうしようもない強い衝動に駆られる。

巨大な蛇の怪物の如くうねり伸びる首都高4号新宿線の下を、息を潜め天敵から逃れる鼠のようにタクシーが走る。いよいよ隠れる場所がなくなった先に、夜靄を突き抜け聳え立つ『パーク ハイアット 東京』の姿で視界は独占された。

最上階52階にある『ニューヨーク バー』までは、エレベーターの乗り換えが必要だった。1度目は蒼太への想い、2度目は結城さんへの想いを確認する為に与えられた時間のように思えた。正気じゃないことは解っている。それでも、多少なりとも気持ちの整理ができればと思った。

2度目の扉が開いた瞬間、エレベーターホールに幾多もの光の気配を感じた。自分の意識を欺くように、わざと気付かない振りをして目を伏せ、結城さんの優しい誘導に身を任せる。ところが、店内に入ると天井から床まで一面ガラス張りの窓。もはや目を背けたばかりのその気配を認識せざるを得ない。案内された窓際の席に腰かけた途端、光の粒子に身体全体が覆われるかのような感覚を覚え、意識の置き場所に戸惑った。

太陽光を反射した月は、人間の目によって青白く見えるだけで、本来は違う色だと聞いた事がある。もしかするとこの光は、人間の目によって失われた月光の生まれ変わりなのかもしれない。そんなことを考えながら、目に見えるものは、その全てが必ずしも真実でない事を思う。

シャンパングラスに鋭く跳ね上がる気泡と共に琥珀色の液体が注がれる。乾杯の儀式の後、グラスの淵をくちびるに近付け、その液体をするりと喉に滑り込ませた。小さなパンケーキに乗せた艶やかな黒い真珠が、舌の上で絡み合い、トロリとする感触を楽しむ。その余韻を残しながら、再びグラスを口元に傾け、その味わいに酔いしれる。結城さんが、どう?と聞きてきたので、相好を崩し、美味しいです、と答えた。結城さんが安心したように微笑んで、これ好物なんだよね、と言った。

それにしても、味覚の嗜好とはおそろしく個人的なものと思う。それ故、お互いのそれを探りつつ、共感し合あえるのは、実はとても官能的なことなのかもしれない。このシャンパンとキャビアが結城さんと私の血となり肉となることを思うと、己の身体に愛おしさを覚えた。

店内のざわめきとジャズライブのサウンドを心地よく感じながら、私達は少し前に体験してきた蝋燭能について語り合った。その世界観や歴史だとか、謡がまるで祈りのように聞こえたことだとか。それから、結城さんは読書好きで映画や舞台の部類は元々興味がないので、私から誘いを受けた時、どうやら内心は困惑していたらしかった。ところが実際に鑑賞してみたら、とても文学的要素を感じて性に合っているようだと話してくれた。新しいことを好きな人と一緒に経験できるなんて、年齢を重ねるほど、きっとそうそう無いだろう。それを相手も喜んでくれることが、単純に嬉しかった。

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