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東京DINKS Vol.6

東京DINKS:元カレを前に、薬指を隠す女の心は後悔か欲望か




寛との約束の日、愛子がけやき坂のイルミネーションをくぐって到着したのは『ジャン・ジョルジュ東京』だった。ここは寛と付き合っていた当時に何度も一緒に来た『ル・ショコラ・ドゥ・アッシュ』があったその場所だ。

寛と別れた6年の間に、大好きだったショコラティエは銀座へ場所を移した。そして自分は結婚した。

街の景色が変わったように自分も、そしてきっと寛も変わったのだ。そんな感傷に少し浸りながら、愛子はガラスの扉を入る。

待ち合わせであることを告げると、2階の一番奥のテーブル席に案内された。先に来ていた寛は愛子に気づくとすぐに椅子から立ち上がり、昔と同じ笑顔を向けてきた。それは愛子にわずかなめまいを起こさせる程の笑顔だった。

「今日はありがとう」礼を述べる寛に、愛子は平常を装って「こちらこそ」と言って続ける。

「私たち、会うの6年ぶりだよね。あの日、あんな一瞬でよく気付いたね。」
「うん、ちょっとタイミングが違っていたらすれ違ってただろうな。でも何て言うか、山崎まさよしの『One more time,One more chance』の歌詞みたいに、常に愛子の姿を探しているんだと思う、東京にいると。」

寛の言葉に動揺し、返す言葉を探していると「未練がましいこと言ってごめん。さあ、まずは乾杯しよう」とバツの悪そうな顔をして寛が明るい声で言った。

寛の左手薬指に指輪がないのを確認し、愛子は自分の左手をテーブルの下に隠した。薬指の指輪に後ろめたさを感じたのは、結婚して初めてだった。結婚していることを隠すつもりはないのに、それが知られるのを少しでも先延ばししたかったのだ。

お互いの空白を埋めるのに夢中になって、美味しい料理のディティールは曖昧になってしまったが、記憶の中の人になっていた寛は、鮮やかな色を取り戻した。

食事中に話しかけると「ちょっと待って」という代わりに、右手の人差し指を軽く立てる癖も変わっていない。

愛子が結婚していることを告げると、寛は「そうか、おめでとう」と一瞬目を伏せた後に「本当におめでとう。俺はまだだよ、1度もね。」と言って軽く目尻を下げた。直後、真剣な眼差しに戻りまっすぐ見つめられると、愛子は言葉も出せずに固まった。

愛し合い、お互い嫌いになって別れたわけじゃない男を、冷たく突き放せる女がいるのだろうか。

寛との未来を選ばなかった自分は、人生最大の間違いを犯してしまった気分になった。それはこのまま寛と一夜を共にすることも許されてしまうのではないかと、愛子に思わせてしまうほどの後悔と欲望だった。

寛の瞳の奥で、大きな渦に飲み込まれ、深い深い海の底に、ゆっくりと沈んでゆく自分の姿が、愛子には見えた気がした。

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東京DINKS

国内で360万世帯いるといわれる、意識的に子どもを作らない共働きの夫婦、DINKS(=Double Income No Kids)。東京のDINKSの生態を描いていきます。

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