TOUGH COOKIES Vol.81

「腐った天才が一番質が悪いの」過去の歌声をAIで凍らせようとする女に、生声で抗ったら

SUMI

ともみは立ち止まり、角に縮こまっていたミウの、隣に少し間を開けて座り込んだ。驚きで目を見開いたミウは、片耳だけイヤフォンを外し、獲物を警戒する小動物のように鋭く口を開いた。

「……何?というか、誰、ですか?」

17歳とは思えない、ハスキーで艶のある声。体形を気にしてか――ルーズなシルエットのパーカーを着ているのに、その下にルビーを凌ぐほどの豊かな胸があると分かる。

ともみは、最近この事務所に所属した、アーティストのマネージャーだと名乗った。そして聞かれるがままに、質問に答えていく。

「やっぱりあの、顔出ししてない歌手の!?うちの事務所に所属したって噂、リアルだったんだ!」

YUMEの歌の大ファンなのだと興奮したミウの警戒が一気に緩んでいく。あのアレンジが天才だし、いつか自分も彼女に曲を作ってもらうのが夢だったと目を輝かせるミウは、無邪気な少女そのものだった。

しばらくすると、少しはしゃぎすぎたと気づいたのか、ミウが照れくさそうに謝り、最初の疑問へと戻った。

「でも、彼女のマネージャーさんが、なんでこんなところに?」
「あなたに会いにきたの」

前置きなくまっすぐに伝える。この無垢な少女に駆け引きは必要ないと思ったからだ。

「…え?」
「……胸のこと、悩んでるんでしょう」

ピク、とミウの肩が跳ね上がった。その切れ長の瞳が見開かれ――疑いや恐れ、様々な影に揺れる。

「胸を小さくするのと、二重の切開もよね。手術しないとデビューさせないって……真壁さんに言われてるんでしょう。それだけじゃない。一緒に頑張ってきた親友のアリスちゃんまで、あなたが手術を受けないとデビューできない」

「な……んで……っ」

呼吸が乱れ、震えはじめたミウの指先をともみは両手でそっと包み込んだ。

「自分で望んだ手術ならいい。でも迷っているうちは、絶対に整形なんてしちゃダメ。あなたの判断は間違ってないわ」

ミウが縋るようにともみを見上げる。

「その正しさを、私たちなら守れる。8年前、あなたと同じように…違法整形を強要されたグループにいたからね」
「同じように…?」

その時、非常階段の向こうから少女たちの笑い声が響いた。そろそろ次のレッスンのために人が集まってきているのだろう。ともみは手早く、自分はQUINTZ-Gというグループで活動していたアイドルであり、そのグループについて検索してみれば、当時の私たちに何が起こったのか、あなたなら想像がつくはず、と伝えた。そして。

「あなたの夢も、あなたの正義も、どちらも諦めなくていい。どちらも選べる方法があるの」

ともみはバッグから取り出した一枚の名刺を、ミウの冷え切った手の内に滑り込ませた。『佐藤法律事務所』の文字が印刷された名刺を。

「真壁さんの違法行為の証拠を、今、この弁護士さんと一緒に集めてる。これ以上彼女の犠牲者を増やすわけにはいかないから」

手のひらの名刺に目を落としたままのミウに、ともみは静かに、けれど力強く告げた。

「白石ミウさん、必ずあなたを救うと約束します。だから――私たちに協力してくれませんか」

『SWEET FOREST FES』2日前/山中湖の会場


富士山麓、山中湖畔の特設会場は、本番を控えたスタッフたちの慌しいざわめきと、セットをくみ上げていく重機の音で騒然としていた。湖面を撫でて吹き抜ける冷たい風が、色づき始めた木々を絶え間なく揺らし、秋の深まりを告げている。

YUMEの控室として用意されたコンテナの前で、ともみは近づいてきた待ち人を笑顔で迎えた。

ぎゅうっと力いっぱいに抱きしめられたあと、見上げる。

「大輝……来てくれてありがと」
「YUMEちゃん…ダメだったんだって?」
「…そうなの。歌えなかった…というよりは、本人のコンディションの問題なんだけど」

今はコンテナの中で眠っているYUMEを気遣い、声のトーンを落とす。大輝には話せる範囲で、今、自分が――真壁の事務所で働いている、その理由を説明してあった。

「来てくれて、本当にうれしい」

大輝の唇が、そっとともみの額に落とされた。

「オレが会いたくて来たんだから」

大輝はそう言って笑ってくれたけど、電話でのともみの声を心配して、無理に仕事を調整して駆け付けてくれたのだと分かっていた。

― まさか、YUMEがあんなことになるなんて。

大輝のぬくもりの中で、ともみは昨日のリハーサルでのYUMEの涙を――痛みと共に思い返していた。



「フェスで歌いたい」と宣言したあの日から、YUMEは驚くペースで声を取り戻していった。時にはマイクの前で過呼吸を引き起こし、倒れ込むこともあった。それでも諦めず、ついに昨日――ここ山中湖のステージで、リハーサルと称した最終歌唱テストが行われたのだ。

サプライズゲストであるYUMEは、ライブ当日まで、完全非公開のシークレットアーティスト。情報漏洩を防ぐため、野外ステージは巨大な遮光幕で四方を覆われ、スタッフも最小限に絞られた厳戒態勢の中、YUMEはステージ中央でマイクを握った。

コントロールブースに陣取った真壁が、手元のインカムのスイッチを入れる。

「じゃあ通しでいきましょう。YUME、覚悟はいい?これが最終ジャッジよ」

YUMEは静かに頷き、ステージ袖のともみへと視線を向けた。ともみは止まらない手の震えと緊張を悟られまいと、大きく微笑み、両手で「がんばって」とガッツポーズを作った。するとYUMEは、ピースサインを返してくれた。

― よかった、笑えてる。

その自然な笑みは、嬉しい結果を予感させるものだった――はず、なのに。



自分の合図で、スピーカーからドラムの重低音が響き出すと、真壁はステージのYUMEの様子を、オペラグラスで伺った。

― 思ったより…平気そうね。

YUMEが静かに目を閉じ、深く息を吸い込んで、マイクを口元に引き寄せる。

次の瞬間、誰もいない客席に響き渡った第一声に、真壁の背に稲妻が落ちたかのような衝撃が走った。


― この広がり方は…尋常じゃない。

伸びやか…という生ぬるい言葉では追いつかない。限界など知らぬとばかりに、その歌声は、遮光幕を突き破りどこまでも広がっていくようだった。さらに野外特有の湿り気を帯びた空気が栄養となったかのように、むき出しの生命力のような力強さが、その歌声に宿っていく。

真壁の胸の奥から――久しく忘れていた表現者としての興奮が、マグマのように吹きだしてくる。

楽曲はそのままドラマチックなサビへと雪崩込み、ラストのロングトーンは天を切り裂くように突き抜けた。演奏がフェードアウトしたあとも、あまりの余韻の心地良さに、真壁の思考が止まった。

モニターには、汗に濡れて息を切らすYUMEが映し出されている。そこにともみが駆け寄っていく。「真壁さん……?」と、YUMEのハンドマイクでともみに呼ばれるまで、真壁は自分が放心していたのだと気づかなかった。

― 腹が立つ。こんな才能を――本物の天才を手放した自分に。

こみ上げてきた自分自身への激しい怒りをねじ伏せるように、真壁は、場内に指示を出すためのマイクを乱暴に掴んだ。そして。

「悪くない。本番は生歌で行きましょう」

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TOUGH COOKIES

SUMI

港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが

その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

心が壊れてしまいそうな夜。
踏み出す勇気が欲しい夜。

そんな夜には、ぜひ
BAR TOUGH COOKIESへ。

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