突然のクイズは予想外でも、答えに迷うことはなかった。
「…裏切り、ですか?」
大正解です、と深い赤の唇が今度ははっきりと笑みの形になる。
「特に身内や恩人、主人のような…近しく信頼し合っていた人を裏切った者たちが、氷の地獄行きとなるんですが、その中にこんな描写があるんです。“そこでは涙も声も凍ってしまう”と。つまりどんなに苦しくても泣き叫ぶことさえできない地獄です。
氷の地獄を生み出したダンテのセンスに私は敬服しています。例えば、炎の地獄なら…焼かれたとしてもその苦しみを叫ぶことはできるし、後悔や謝罪を口にすることもできるわけですよね。
けれど、氷はすべてを停止させる。完全に凍らされ、会話も身動きも一切できない。そんな中で、永遠の孤独という苦しみを与えつづけるのが、氷の地獄なんですよ」
紗和子は、アイスペールから氷を1つ取り出し、マッカランの中に沈めてグラスを弄ぶように揺らした。オールドバカラのクリスタルがカラン、カランと鳴る音が固く響き、ともみも、そして恐らくルビーも――見たこともない氷の地獄に生き埋めにされた裏切りものの末路を想像するはめになった。
「……紗和子さんを、裏切った人はどんな人ですか?」
長い沈黙の後、心からの興味でともみは聞いた。大切なものを奪われたということは、紗和子が、“氷の地獄行の重罪人”に、出し抜かれたということ。アート界を統べる権力者であり、裏切りものは抹殺すると迷いなく言いきる冷徹なキングメーカーを、恐れしらずにも騙し切ったその正体が気になったのだ。
確か女性だと言っていたはず、と思い浮かべた時、もう一度氷が揺れ、その音と共に、紗和子は言った
「強烈な才能の持ち主。彼女が望むならば、どんなことでもしなければならないという使命感を抱いてしまうほどの。何もかも捧げたくなってしまう……私の人生の中でも、あれほどに輝く才能には数えるほどしか出会ったことはありません。だからあまりにも眩しくて…」
今思えば、目がくらんでいたんです――この私が、と、どこか懐かしそうに目を細めた紗和子にゆっくりと見上げられ、ともみは自分の喉が鳴るのを感じた。
「私のコネクションの全てを使い、世界に羽ばたかせた。そして彼女は成功しました」
紗和子に差し出された携帯に映っていた女性の顔を、ともみも知っていた。後藤麻莉奈(ごとうまりな)。まだ20代半ばながら、つい最近、世界のラグジュアリーブランドと契約を結び、世界中を巡回する大規模な作品展が決まったアーティストだ。
絵画や彫刻、動画や写真、時には踊る人間までも、あらゆる表現方法を自由自在に操る“現代アート”で、表現の枠が無限、全ての事象をアートに昇華させることができると評された記事をともみも読んだこともあった。
「彼女に、何を奪われたんですか?」
「…ご存じ、ない?」
紗和子は画面をいくつかスワイプし、新たな記事を出した。そこには幸せそうな麻莉奈、その横に爽やかな笑顔の女性が。記事の内容は。
『超人気アーティスト、後藤麻莉奈がNYで同性婚を発表!お相手は美術館のキュレーター。時代を軽やかに超えていく新時代のカップルにインタビュー』
「そこに書かれている…後藤麻莉奈のお相手というのは、私の婚約者だった人です。それもつい最近までね。でもそれだけじゃなく…麻莉奈は、私のクライアントを奪い、私の信用を揺るがしたのです。
そんなの絶対に…許せるわけがないでしょう?」
▶前回:「まさか、他の女性と?」出張帰りの彼の様子がおかしい。疲れているだけと言うが、不安になった女は…
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
▶NEXT:3月17日 火曜更新予定







この記事へのコメント
ならばあの態度はないわー。ババァとか笑っちゃうとかボケたんか?まで言って失礼にもほどがある。 性格腐ってるから清川が復讐と抹殺された側なのかもね。
若い学生とかが勢いで言うのと違い、ある程度年齢を重ねた人が平気で使うと「人としてどうなのか」と思われる。”日本語” で ババアという言葉はかなり強い侮辱表現。そもそも50代、自分も言われる立場なのに。今迄で一番嫌な女が相談者か。