ふたりに教えてもらって今夜訪れたのは、『しづご』。
完全予約制の焼き鳥のお店で、営業時間はなんと深夜の2時まで。
お店の雰囲気が落ち着いていてデート向きなのはもちろんのこと、お店のご主人は焼き師でありながらソムリエの資格を持っていて、焼き鳥とワインのペアリングのコースが絶品なのだという。
「わあ、豪さん見て。ひさかたの ひかりのどけき 春の日に…ですって。百人一首の一句が店名の由来なんですね」
和歌が書かれた暖簾をくぐると、ふたりが言っていたとおり、落ち着いた雰囲気の洗練されたカウンター席が迎えてくれた。
『お互いの体が触れるか触れないか…それくらいの距離で座れるカウンター席がオススメよ。向かい合って見つめ合うよりも、一緒の方向を見ているくらいのほうが、栞も緊張しないでしょ』
豪さんとは“お鮨友達”なのだから、カウンター席には慣れている。
だけど、いつもみたいに活気が溢れるといった感じではなく、ゆっくりとした時間が漂うお店で横並びに座るのは初めてだ。
心臓はさっきから、豪さんが座っている右側に引っ越してしまったんじゃないかと思うくらいドキドキしている。
― レイカとマミのうそつき…!
私はそう心の中で文句をいいながら、目の前で焼かれる焼き鳥の様子を豪さんと注目しつづけるのだった。
と、いいつつも、カチコチだった緊張が解け切ってしまうのにそう時間はかからなかった。
「すごい、おいしい…!」
「本当。俺、焼き鳥の時はわりとビールとかハイボールなんだけど…。ワインがこんなに合うなんて」
コースのスタートは、ささみ。「アンドレ・クルエ」の辛口シャンパンとのマリアージュに驚かされ、ぎこちなさは一気にどこかへ吹っ飛んでしまう。
せせりのペアリングで提供されたのは、トロピカルな香りのオレンジワイン「ヴィーノ・デル・ポッジョ」。ワインと合うようにハリッサで風味をつけられたせせりが、ワインの香りをより華やかにしてくれる。
さらに私たちを驚かせてくれたのは、2羽からやっと1串分がとれるという希少部位の背肝。ブルゴーニュの「ニュイ サン ジョルジュ プルミエ クリュ オー アルジーア」とともに提供された背肝は、そのマリアージュも相まってなんて奥深い味なのだろう。
お店にお任せの焼き鳥のコースはめくるめく物語のようで、いつものように「飲み過ぎたら恥ずかしいかも?」なんて考えている暇なんて全くなかった。
ひとつひとつ創意工夫が凝らされた最高の串と、それにピッタリと合うペアリングされたワイン。
『食べるものは、最高に美味しいものじゃないとダメ。一緒に最高の体験をすることで、その最高の時間を共有するの』
レイカとマミのアドバイスを心の中で噛み締めながら、私も豪さんもどんどん食べて、飲み進める。
「うちの家族、小さい時からずっとお正月には百人一首をするのが恒例で…」
「へえ、俺んちは凧揚げだったな。実家が鎌倉だから、江の島の砂浜までいって凧揚げするの」
気がつけば私も豪さんもほろ酔いで、なぜだかお互いに家族の話をするという不思議な会になっていたのだった。
◆
「はあ。こんな美味い焼き鳥食べたの、いつぶりだろ。栞ちゃん、誘ってくれてありがとね」
「いえ。こちらこそ、私から誘ったのにご馳走になっちゃって…ありがとうございます」
大満足でお店を後にし、エレベーターを降りて路上に出る。
美味しい焼き鳥とワイン、そして楽しい会話に夢中で聞こえなくなっていたレイカのマミのアドバイスは、その瞬間に戻ってきた。
『それから…すっごく遅い時間までお酒を飲むの』
麻布十番の裏路地は、しんと冷え切って真っ暗になっている。
腕時計を見ると、なんともうすぐ午前1時だ。
「レイカの家に泊まってくる」とあらかじめ許可を取っていたのでなければ、きっと父が鬼電の上どうにかしてここまで迎えに来ていたに違いない。
「うわ、すごい時間だね!コース3時間もあったんだ、あっという間に感じたけど」
豪さんはそう言って伸びをしながら、2月の路上に白い息を吐いている。その背中を後ろから見ていると、またしてもふたりの声が聞こえた。
『お店はできれば、彼の家の近くね』
豪さんの家は、虎ノ門だ。ここ麻布十番からはあっという間の場所にある。
気がつくと私の心臓は、入店したときと同じくらい…ううん。それよりも100倍くらいの激しさでバクバクしている。
『それから、ただの友達から本当に先に進みたいなら、勢いが大事だよ。お酒飲んで、勢いもついてるでしょ。帰ろうってもし言われても、勇気を出して言うの』
豪さんの広い背中を見ながら、ふと思った。
さっき見た、百人一首の暖簾。
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ…。
こんなにのどかな日なのに、どうして花は急いで散るのか。小さい頃、父がお正月に意味まで教えてくれたっけ。
― いけない。緊張しすぎて、変なことまで思い出してる。
でも…。
― どうしても、こんなに急がなきゃいけないのかな。
心のどこかで、隠し味のハリッサみたいにピリッと感じたそんな気持ちに、私は勇気で蓋をする。
そして、先に進むために。一人前の大人になるために。恋を叶えるために、罪の言葉を振り絞るのだった。
「あの、豪さん」
「ん?なに?」
「私…まだ帰りたくないです。豪さんの部屋、連れてってもらえませんか…!」
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ついに、豪へのストレートなアプローチに踏み出した栞。一方、ハリーを追った双葉の結果は。







この記事へのコメント
手すら繋いだ事が一度もない栞が....家に行っても・・・🔞