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今夜、罪の味を Vol.2

「デート相手はいるけど、好きになれない」満たされない28歳女の心を埋めるのは、彼ではなく…

有栖川匠

『双葉ちゃん、今夜暇じゃない?ちょっと聞いてほしい話があって、夕飯一緒にどうかな』

メッセージは泣き顔のウサギのスタンプと共に、17時に送られてきている。ちょうど、ページの差し替えでの件で電話をかけまくっていた頃だ。

『遅くなっちゃってごめん!今LINE気づいた。もうこんな時間だし無理だよね。来週ならどっか出られると思うけど』

返事を打ちながら、コンビニのおにぎりコーナーの前で立ち止まる。

棚にはバラエティ豊かなおにぎりが所狭しと並んでいたけれど、疲れきった私の目にはどれも同じに見えた。全くと言っていいほど、食欲はない。

実際、家で1人寂しく食べるおにぎりは、きっと味なんてしないだろう。

本当は今からでも市子と会って気分を変えたかったけれど、そうはいかないことはわかっていた。

私がまだ編集者として駆け出しで、市子が読者モデルとして雑誌に度々出てくれていた5年前。

その頃からずっと、市子は20時を過ぎたら水しか飲まない。

年が近かった私と、それから同期の早紀に妙に懐いてくれた市子とは、3人で何度も食事に出かけた。けれど、そのほとんどがランチだ。

― 仕方ない。今日はもう、缶ビールだけ飲んで寝ちゃお…。

なんて酷い食生活だろうと自己嫌悪に襲われながらも、どうしても食欲を感じることができない私は、缶ビールを一本だけピックアップしてレジへと持っていく。

「お願いしまーす…」

外国人の店員が無言のままバーコードを読み込もうとした、その時だった。

手に持ったスマホが突然震え出し、着信を告げる。画面に表示されているのは、市子の名前だ。

「もしもし?どうしたの?」

この時間に市子が起きていたことにまず驚きつつ、私はスマホを耳にあてる。

けれど電話口で市子が言ったのは、私をもっと驚かせる言葉なのだった。


「双葉ちゃーん、待ってたよー!」

電話で告げられるがままタクシーに乗り込みついたのは、西麻布の『ロマンス お好み焼きとクラフトビール』という店だ。

「すごい、本当に市子がいる。もう23時近いのに」

「だって、どうしても双葉ちゃんに会いたかったんだもん。っていうか、ひとりじゃいられなくて」

一体全体なにがあったのか、市子の方から「今からでもご飯食べに行こう!」と強く誘われたのだ。

「双葉ちゃんの家この辺だよね?この時間でもやっててビールが飲める美味しいお店を調べたら、この店が出てきたの。双葉ちゃんビール派でしょ?」

市子は妙に明るくそう話したけれど、深追いせずにはいられない。

「そうだけど…どうしちゃったの?スタイル保つために、20時以降は絶対に食べない!ってずーっと言ってたじゃん」

すると市子は、困った子どものような半泣きの表情を浮かべて言うのだった。

「だって…もう、痩せてたって、太ってたって、意味ないんだもん。…豪くんにふられちゃったからぁ〜!」

お酒の飲めない市子は、どうしてそうなるのかわからないけれど、コーラを飲みながら酔っ払いのようにクダを巻く。

ただ事ではない事態であることを感じ取った私は、とにかく市子の隣に座り、店の名物だという「ロマンス焼き」とクラフトビールを注文するのだった。


クラフトビールを飲みながら市子から聞いた話は、簡単に言ってしまえばこうだ。

大好きだった彼氏に、フラれた。

半年くらい前に彼氏ができたことは聞いていた。その相手が高校の頃の憧れの人だということも、聞いたことがある気がする。

けれど…思っていた以上にシンプルな内容に、私はどうやら一瞬キョトンとしてしまったらしい。

「あー、やっぱり双葉ちゃんはそういう感じだと思った!こういう時はまず早紀ちゃんに聞いてもらうべきなんだよ」

市子は憤慨した様子でそう言うと、スマホで早紀にビデオ通話をかけはじめる。

同期だった早紀は、3年前に会社を辞めた。

妊娠がわかって、結婚退職したのだ。子育て真っ最中の今はなかなか3人で集まることが難しく、こうして私と市子で会っている時に、早紀に電話をかけることも多い。

「あー早紀ちゃーん!聞いて〜双葉ちゃんが冷たいの。私がずっと大好きだった人にフラれたっていうのに」

そう言いながら市子がテーブルに置いたスマホには、部屋着姿の早紀の姿が映っていた。

「えーどうしたの?え?双葉はわかるけど、市子ちゃん、こんな時間に飲みに出てるの!?」

画面越しの早紀が興味深そうにこちらを覗き込んできた、その時だった。

ハッとした顔を浮かべて、早紀が後ろを振り返る。

「あ、ごめん…!主人が帰ってきちゃったから、切らないと。また今度ゆっくり聞かせてね」

“主人”。

そのフレーズが早紀の口から出てきた時、私の胸がちくんと痛んだ。

通話がオフになる寸前、早紀の背後にうつりこんだ見覚えのある姿…。

それは、先ほどまでオフィスで時間を共にしていた、向井さんだ。

この記事へのコメント

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No Name
コンビニおにぎりとビールより、ラーメン屋で餃子とビールの方がまだ栄養も....と思ったけど市子と飲みに行けて良かったよね。向井さん夫婦の孤独がどんなか来週が楽しみだ!
2025/11/24 06:286
No Name
向井さんの件、切なさは伝わってきた。でももう授かり婚から三年経つのだしそろそろ気持ちを切り替えてもいい頃かなと。
2025/11/24 05:374
No Name
彼にすぐに謝って明日から一緒にお好み焼きガツガツ食べたらまだ復縁できると思う。
2025/11/24 06:322
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今夜、罪の味を

有栖川匠

悲しい夜。眠れない夜。寝たくない夜。

さまざまな感情に飲み込まれそうになる夜にも、東京では美食がそばにいてくれる。

ディナータイムのあとに、自分を甘やかす“罪の味”。

今夜、あなたも味わってみませんか──?

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