『双葉ちゃん、今夜暇じゃない?ちょっと聞いてほしい話があって、夕飯一緒にどうかな』
メッセージは泣き顔のウサギのスタンプと共に、17時に送られてきている。ちょうど、ページの差し替えでの件で電話をかけまくっていた頃だ。
『遅くなっちゃってごめん!今LINE気づいた。もうこんな時間だし無理だよね。来週ならどっか出られると思うけど』
返事を打ちながら、コンビニのおにぎりコーナーの前で立ち止まる。
棚にはバラエティ豊かなおにぎりが所狭しと並んでいたけれど、疲れきった私の目にはどれも同じに見えた。全くと言っていいほど、食欲はない。
実際、家で1人寂しく食べるおにぎりは、きっと味なんてしないだろう。
本当は今からでも市子と会って気分を変えたかったけれど、そうはいかないことはわかっていた。
私がまだ編集者として駆け出しで、市子が読者モデルとして雑誌に度々出てくれていた5年前。
その頃からずっと、市子は20時を過ぎたら水しか飲まない。
年が近かった私と、それから同期の早紀に妙に懐いてくれた市子とは、3人で何度も食事に出かけた。けれど、そのほとんどがランチだ。
― 仕方ない。今日はもう、缶ビールだけ飲んで寝ちゃお…。
なんて酷い食生活だろうと自己嫌悪に襲われながらも、どうしても食欲を感じることができない私は、缶ビールを一本だけピックアップしてレジへと持っていく。
「お願いしまーす…」
外国人の店員が無言のままバーコードを読み込もうとした、その時だった。
手に持ったスマホが突然震え出し、着信を告げる。画面に表示されているのは、市子の名前だ。
「もしもし?どうしたの?」
この時間に市子が起きていたことにまず驚きつつ、私はスマホを耳にあてる。
けれど電話口で市子が言ったのは、私をもっと驚かせる言葉なのだった。
「双葉ちゃーん、待ってたよー!」
電話で告げられるがままタクシーに乗り込みついたのは、西麻布の『ロマンス お好み焼きとクラフトビール』という店だ。
「すごい、本当に市子がいる。もう23時近いのに」
「だって、どうしても双葉ちゃんに会いたかったんだもん。っていうか、ひとりじゃいられなくて」
一体全体なにがあったのか、市子の方から「今からでもご飯食べに行こう!」と強く誘われたのだ。
「双葉ちゃんの家この辺だよね?この時間でもやっててビールが飲める美味しいお店を調べたら、この店が出てきたの。双葉ちゃんビール派でしょ?」
市子は妙に明るくそう話したけれど、深追いせずにはいられない。
「そうだけど…どうしちゃったの?スタイル保つために、20時以降は絶対に食べない!ってずーっと言ってたじゃん」
すると市子は、困った子どものような半泣きの表情を浮かべて言うのだった。
「だって…もう、痩せてたって、太ってたって、意味ないんだもん。…豪くんにふられちゃったからぁ〜!」
お酒の飲めない市子は、どうしてそうなるのかわからないけれど、コーラを飲みながら酔っ払いのようにクダを巻く。
ただ事ではない事態であることを感じ取った私は、とにかく市子の隣に座り、店の名物だという「ロマンス焼き」とクラフトビールを注文するのだった。
クラフトビールを飲みながら市子から聞いた話は、簡単に言ってしまえばこうだ。
大好きだった彼氏に、フラれた。
半年くらい前に彼氏ができたことは聞いていた。その相手が高校の頃の憧れの人だということも、聞いたことがある気がする。
けれど…思っていた以上にシンプルな内容に、私はどうやら一瞬キョトンとしてしまったらしい。
「あー、やっぱり双葉ちゃんはそういう感じだと思った!こういう時はまず早紀ちゃんに聞いてもらうべきなんだよ」
市子は憤慨した様子でそう言うと、スマホで早紀にビデオ通話をかけはじめる。
同期だった早紀は、3年前に会社を辞めた。
妊娠がわかって、結婚退職したのだ。子育て真っ最中の今はなかなか3人で集まることが難しく、こうして私と市子で会っている時に、早紀に電話をかけることも多い。
「あー早紀ちゃーん!聞いて〜双葉ちゃんが冷たいの。私がずっと大好きだった人にフラれたっていうのに」
そう言いながら市子がテーブルに置いたスマホには、部屋着姿の早紀の姿が映っていた。
「えーどうしたの?え?双葉はわかるけど、市子ちゃん、こんな時間に飲みに出てるの!?」
画面越しの早紀が興味深そうにこちらを覗き込んできた、その時だった。
ハッとした顔を浮かべて、早紀が後ろを振り返る。
「あ、ごめん…!主人が帰ってきちゃったから、切らないと。また今度ゆっくり聞かせてね」
“主人”。
そのフレーズが早紀の口から出てきた時、私の胸がちくんと痛んだ。
通話がオフになる寸前、早紀の背後にうつりこんだ見覚えのある姿…。
それは、先ほどまでオフィスで時間を共にしていた、向井さんだ。








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