ルビーの乱暴な交渉にともみはひやひやしたが、光江は、ほんの少し残っていたライムリッキーをグッと飲みほすと、あっさりと立ち上がった。そしてメグに、覚悟を決めたらともみ経由で自分に連絡してくるように伝え、最後に…と付け加えた。
「たった1度でも仕事よりもミチを優先したことがあるか。たった1度だけでも…自分の手でミチを幸せにしたいと思ったことがあるのか。それを思い出してみてくれないか」
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「ワンチャン、置き忘れていってくれるかもって狙ってたけど、やっぱダメかぁ」
あながち冗談でもなさそうにルビーががっかりしているのは、メグが欲しい情報が詰まった書類を光江がしっかりと持ち帰ったことだった。
「ごめんね。2人を巻き込んじゃって」
メグは申し訳なさそうに、少しはお客さんらしく、ワインを一本開けさせてと言った。
BAR・Sneetに比べると、TOUGH COOKIESにあるワインは少ないが、それでも常時、赤白50本以上ずつは置かれている。
SNSの裏アカの流出で炎上した女優・東条みず穂の事務所の社長が光江とは懇意にしていたことが、この店を作るきっかけの1つになっているのだが、その事務所に所属する女優やモデルたちの女子会や、光江と女性の政治家や実業家の会合が開かれる時のためにも、ワインを揃えておく必要があるのだ。
― 稲荷寿司もまだあるから…。
白ワインの方が良さそうだと、ともみはワインセラーを眺める。16個入りだった稲荷寿司に遠慮なく口に入れたのはルビーだけで(4つを平らげている)、まだ半分以上は残っている。
ともみはメグの予算内で、フランス・アルザスのリースリングを選んだ。ドメーヌ・シュルンバジェの、グラン・クリュ・ケスラー・リースリング。白い花とライムのような香りでミネラル感が強く、後味がシャープな白ワインは、油揚げや酢飯との相性が良いはずだ。
リースリングと相性のよい熟成12か月のコンテチーズを少し切って皿に盛ると、ルビーが3つのグラスと共にそれを運び、改めて乾杯をする。
「乾杯の数だけ幸せが増えるって、さっき光江さんが言ってたもんね」
そう笑ったメグの頬から顎のラインが、3週間前より痩せていることに改めて気づきながら、ともみは、良ければ詳しい事情を教えてもらえないかとメグに切り出した。
ミチのプロポーズから逃げた過去、そしてリリアという少女の話。自分の取材のせいでリリアの行方が分からなくなり、ショックで仕事ができなくなったこと。少女の居場所を探し続けてきたけれど全く見つからず、そのうちに眠れなくなり、今はミチの家に泊まらせてもらっていること。
痛みに耐えるように顔を歪め、唇を嚙みしめながら、ポツリポツリと、メグは告白していく。
「光江さんが正論過ぎて、ぐうの音も出ないとはこのことだよ。さっき最後に言われたことも…」
メグは小さなため息の後、続けた。
「思い出せないの。仕事よりもミチを優先したこと。ミチとの約束を仕事でキャンセルしたことならいくらでもあるくせに。自分の手で、ミチを幸せにしたいって思ったことも……一緒に幸せになりたいとは願っていたけど…自分の手でとは考えたこともなかったんじゃないかって、今更気づいちゃった。最低だよね、私」







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