「あぁ、気持ちいい。やっと体が起きてきた感じがする」
10回目の太陽礼拝を終えた私は窓際に立ち、家から持参したレモン入りの水を飲む。
朝食は、家に帰ってからにするつもりだ。日課通り9時ごろに秀治と一緒に食べようと考えているため、今は水分だけにしておく。
体も動かし終わり、本来だったらお腹がグーグー爆音を鳴らしても不思議はない。それなのに今の私は、レモン水を少し飲んだだけでも胸焼けしそうな感覚を覚えていた。
このところずっと、食欲がない。
この2ヶ月の間、体はすこぶる元気なのに、心の中に大きなモヤモヤが澱のようにたまっているのだ。
その理由は明らかだった。2ヶ月前に目撃した、“あの光景”が目に焼き付いているから。
― やっぱりあれって…萌香ちゃんだったよね…。
深夜の恵比寿で、萌香ちゃんが知らない男性とホテルに入って行く姿は、忘れようと思っても忘れられるものじゃない。
見てはいけないものを見てしまった。
サッと血の気が引くような衝撃を覚えた私はあの時、とっさに目を逸らしたけれど…。
勘違いでなければあの瞬間、萌香ちゃんの方も私を見つけていた。
それも、皮肉な微笑みを唇の端に浮かべて。
― 萌香ちゃん、どうして…?
何度考えても、分からない。
発見してすぐは信じられなさすぎて、何度も見間違いだと自分を納得させようとした。
だけど、月日が経てば経つほど輪郭は強さを増していく。
それは、萌香ちゃんを信じたいという渇望に似た気持ちと───正輝に伝えないままでいいのかという罪悪感によるものに違いなかった。
「放っておけよ。責任取れないだろ」
モヤモヤと悩み続け、自分ひとりではついに抱えきれなくなったある日。
朝食を食べながらあの晩見たままの事実を秀治に相談すると、秀治は即座にそう答えた。
「責任」
理解しきれずにオウム返しをする私に、秀治は絡まった糸を解いてみせるように説明する。
「莉乃が目撃した光景が、単なる見間違いだった場合。問題なく仲睦まじく付き合っている正輝くんと萌香ちゃんの仲に、不必要な亀裂を入れることになる。
莉乃が目撃した光景が、見間違いじゃなく事実だった場合。莉乃が介入することで、ふたりは破局するかもしれない。そういう責任、とれないだろって話」
「でももしその場合は…。正輝たちのケースに限らず、裏切った人の自業自得じゃないの?
もし私が当事者だったら、裏切られてることを知らないでいるなんて、惨めすぎるよ。真実を知っている人がいるなら教えて欲しいと思う」
イマイチ釈然としない私は、軽く反論をした。だけど秀治は、コーヒーカップに手を添えたまま眠そうな顔で言うのだった。
「それはまあ、考え方の違いだろうな。
正輝くんが今萌香ちゃんと幸せに過ごしてるとして、こんな事実は知りたいかもしれないし、知りたくないかもしれない。それは莉乃には分からないんじゃないの?
知らないままでいられたらよかったのに。丸く収まったのに。そういうことって、この世の中にいくらでもあると思うよ。俺はね」
この記事へのコメント
ウジウジ悩んだ時、憂さ晴らしに付き合ってくれたのはいつも正輝だった。本来それは秀治さんであるべきだし、正輝以外の友人とも仲良くしていれば良かったのに。 あれだけ親友言いながら正輝の事好きだったと気付き始めてるようにも読み取れた。