「…え?」
炊き込みご飯が喉に詰まりそうになった俺は、つかえながらも姉貴に聞き返した。
しかし、姉貴は全く動じない。
それどころかしみじみと感じ入るような様子で、隣のリョウさんの腕にしがみつきながら主張を強めるのだった。
「そういうメンヘラっぽい感じの子はね、とにかく今の関係が不安なの!結婚したらケロッと安定したりするのよ。
私も結婚がちゃんと決まるまでは、リョウくんにこんな感じで連絡しまくってたよねぇ〜」
「あはは、たしかにマリちゃんそういうとこあったかも」
姉貴の恋愛事情なんてリアルに想像したくもなかったけれど、しがみつかれている側のリョウさんの困ったような笑顔を見ると、きっと姉貴の言う通りだったのだろう。
「へえ、そういうもんかな」
姉貴に適当な返事を返しながら、萌香が打ち明けてくれた悲しい過去を思い返す。
たしかに…萌香がこんなに寂しがり屋なのは、きっと俺には気づけないような色々な不安を抱えているからなのかもしれない。
“男女の友情”を隠れ蓑に裏切られていたという経験は、1人の女性の心を不安で染めてしまうのに十分過ぎるほど辛いものだと思う。
毎日電話を欲しがるのも、突然の部屋にやってくるのも、毎週末のデートを求められるのも───そして、莉乃への嫉妬も。きっと、不安が萌香をそうさせるのだろう。
莉乃と連絡を絶ってからというもの、俺の空き時間のほとんどは萌香に費やされている。
ただでさえそんな状態だったというのに、9月の半ば頃だっただろうか。
「陰でこっそり莉乃さんに会ったりしてないよね?」
一度だけそんなふうに聞かれたことがあってからは、なるべく萌香を安心させたくて、それまでにも増して仕事の後の時間も、土日も祝日も、萌香のために使うようになった。
正直に言えば、疲れを感じることもある。
でも、勇気を出して過去の辛い恋愛経験を打ち明けてもらった以上、俺だけは萌香をとことん安心させてあげたいというのが決意なのだ。
萌香を幸せにするなら、できることはなんでもする。
萌香が嫌だというのなら、親友と2人で会えなくなる決断だって、少しも迷うことはなかった。
「結婚かぁ」
何気なくこぼれた独り言だったけれど、口にしてみると意外にも確かな感触があった。
雙葉のお嬢様育ちの萌香は、同棲はご両親が許さない。もしも一緒に暮らすとなったら、結婚することになるだろう。
もし萌香と結婚したら、家に帰れば萌香がいるのだ。電話も、家に足を運ばせることも、今何をしているかを報告する必要もない。
だって、家に帰るだけで萌香を安心させてあげられるから。
そうだ。今のこの少しばかり窮屈な状況は、結婚することで純粋な幸せに姿をガラリと変えるのかもしれなかった。
「赤ちゃんが生まれる上に、正輝も結婚となったらおめでたいわねぇ」
想像にふける俺の横で、母親が夢見心地でつぶやく。
「お母さん、正輝には莉乃ちゃんみたいな子がお嫁に来てくれたら安心なんだけど」
「莉乃?」
思いがけず母親の口から出た場違いな親友の名前に、思わず味噌汁を吹き出しそうになってしまった。
「それはないって。莉乃とはただの友達だし、あいつは結婚しないポリシーだから。最近はもう、全然会ってないし」
「そうなの?」と返す母親に、俺は箸を置いて向き直った。そして、たった今確信を深めたアイディアを、早速共有する。
「うん。しばらく姉貴もいることだし、今度ちゃんと彼女連れてくるわ。
ちなみに、莉乃とはタイプが真逆の子だから…今みたいな話は冗談でも絶対に彼女にするなよ」
「キャー!」と盛り上がる女性陣を無視しながら、俺はもう一度テーブルの下でスマホを開く。
― そうだ。早いところ、萌香を安心させてあげよう。
ほんの少し億劫に感じていたLINEの返信も、そうと決めればなんてことはなかった。
『こ、の、あと、すぐ、に、電話す、る…っと』
メッセージを打ち込みながら、心の片隅で考える。
この2ヶ月、莉乃とはすっかり音信不通だけれど───結婚式に呼ぶことくらいは、萌香もゆるしてくれるだろうか。
▶前回:「え、ここ?」男友達と恵比寿で飲んだ夜。タクシーで帰ろうとしたら、連れて行かれた意外な場所
▶1話目はこちら:「彼氏がいるけど、親友の男友達と飲みに行く」30歳女のこの行動はOK?
▶Next:9月22日 月曜更新予定
萌香が他の男とホテルに行ったことをしらないままの正輝。目撃してしまった莉乃は…
この記事へのコメント
お嫁にもらう価値観なら萌香がぴったり。専業主婦になってくれるみたいだし料理も好きだから仲良く出来そう。 だけど、悪意なく萌香の前でも莉乃ちゃん莉乃ちゃん言いそうなんだよね。大丈夫かな。
まぁ結婚前提で親に紹介したら萌香も安心するね。ただ莉乃が正輝にホテルの件を告げ口しそうで心配。