黙々と秋刀魚を口に運ぶ正輝くんに、私は尋ねる。
「ねえ、正輝くん。最近なんか元気ないね。大丈夫?」
「え、そんなふうに見える?いや、今抱えてる案件がちょっと入り組んでて、どうしても考えちゃってさ…この後ももしかしたらちょっと会社戻るかも」
「そうなんだ…。何か、私でも相談に乗れることがあったら言ってね」
「ありがとう、大丈夫だよ。
でも、萌香。手料理も嬉しいけど、平日は俺どうしてもこんな感じになっちゃうから、無理に来てくれなくても大丈夫だからね」
「うん…」
明らかに、仕事のストレスが増えているように見える。
沖縄旅行から帰ってからというもの、正輝くんはずっとこんな調子なのだ。
― もしかしたら、いい歳して泣いちゃったり束縛しちゃったりしたから、私のこと嫌になったのかも…。
そう考えてもみたのだけれど、私にはいつも通り…ううん、いつも以上に優しいところを見ると、どうやら本当に仕事で悩みを抱えているだけらしい。
こんな時、彼女なのになんの力にもなれないというのは、すごく寂しい。
きっと莉乃さんなら、正輝くんを元気にする方法を知ってるんだろう。
旅行先で「もう今までみたいに莉乃に連絡をしない」と宣言してくれてから、正輝くんは本当に莉乃さんと連絡を取り合うのをやめてくれた。
あのとき泣いてしまったことについては、我ながらなんて鬱陶しい女なのだろうと思う。
だけど、せっかくの2人きりでの旅行先でまで莉乃さんの名前を聞くことになるのだと思ったら、自分でもびっくりするくらいショックを受けてしまったのだ。
― もしかしたら、正輝くんは莉乃さんのことが好きなのかもしれない。
そんな妄想が一気に加速して、鼻の奥がツンと痛くなるのを止められなかった。
結果的には、よかったと思う。
ずっと言い出せずにいた「男女の友情なんて信じられない」という私の考えは、あんな衝動的な気持ちに背中を押されたのでなければ、愛想をつかされるのが怖くてきっと言い出すことはできなかったから。
正輝くんが、莉乃さんよりも私の想いを尊重してくれたことは、正直嬉しい。あの事件があったからこそ、私は正輝くんのことが前よりももっと、どんどん大好きになっている。
だけど…。
― 本当に、これで良かったのかな。
こうして元気のない正輝くんを目の当たりにするたび、ふっと考えがよぎる。
もしも莉乃さんが、あの明るさで、豊富な知識で正輝くんを笑顔にできるのなら…。
正輝くんを助けてあげてほしい。そんな風に思うこともあるのだ。
― 男女の友情って、本当にあるのかな…。
私の作った秋刀魚のトマト煮を、考え事をしながらちびちびとつつく正輝くんを見ながら、私はじっくりと自分自身の気持ちを分析する。
莉乃さんのことは、嫌いじゃない。
それどころか多分、好きだ。───正輝くんの親友なんかじゃなければ。
ふと、莉乃さんの彼氏の秀治さんのことを思い出す。
9年も莉乃さんと付き合っているという秀治さんはつまり、莉乃さんと正輝くんの友情も9年見守っているということなのだろう。
― 男女の友情はあるって、心から思えたら…。こんなふうに正輝くんを束縛せずに、秀治さんみたいにふたりを見守れるのかな。
「ねえ、正輝くん」
「ん?」
「…おかわり、いる?」
莉乃さんに会いたい?という言葉をギリギリのところで飲み込んだ私は、とっさに違う言葉でお茶を濁す。
だめ。その言葉は、私にはまだ早い。今また束縛を解いてしまったら、きっと私はまたふたりの関係を疑ってしまう。
この醜い束縛から正輝くんを解放してあげるためには───まずは私が、すべきことをしなくてはいけないのだ。
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