「だったら、脅されていることも話してしまえばいい。今の恋人にプロポーズされたタイミングで昔の愛人に脅迫されて、その脅迫に屈するよりは、たとえすべてを失っても、自分の言葉で皆さんにお伝えしたいと思いました、って。過去の過ちを認めた上で謝ればいいと思います。
出資してもらった資金は既に全額返金していて、愛人関係は解消されています、ということも伝えましょうよ。返済の証明になる書類があればそれを見せてもいいかもしれない。
もちろん、愛人って言葉に嫌悪感を抱いてブランドから離れちゃうお客さんも沢山いるだろうけど——心からの後悔を伝えれば、誠実な対応だと感じる人も少なからずいると思います」
失敗をしたことのない人なんていないのだから。自分の過去と重ねて、美景に同情し応援する人もいると、ともみは思った。
「それに何より自分から告白することの最大のメリットは、脅しがきかなくなることですよね。秘密が秘密じゃなくなるんだから、もう2度と香川さんは美景さんを脅すことはできない」
脅迫が恐ろしいのは、一度で終わるとは限らないことだ。それどころか2度、3度と際限なく続いていく可能性は高い。実際にともみは、恋愛関係にあった男に動画をとられて脅され、がんじがらめになってしまった女の子たちを何人も知っている。
― だったら自分から暴露してしまった方が、傷は最小限で済む。
「私も全てをさらけ出すことを提案しようと思っていました。今、この状況でできるベストな判断だと思いますし、大賛成です」
ともみの肯定に、美景の笑顔が照れ臭そうなものに変わった。
「今となれば…なんでもっと早く決断できなかったんだろう、とも思いますけど、それだけ私は、実は、世間に尊敬されている女社長っていうイメージが大事だったんだなって…見栄っ張りでプライド高くて、なんか情けなくなりますね」
今にも泣き出しそうなルビーを横目に見ながら、ともみは首を横に振った。
「会社の代表もおりて、長い間一緒に闘ってきてくれたスタッフに任せようと思います。彼女たちにも真実を話して、それでもよければ、ですけど。私という人間の生き方はともかく、品質は本当に良いと自信をもっていえるので、プロダクトだけはどうにか残していける方法を考えたくて。
全く売れなくなっちゃう可能性も大きいですけどね」
私は買い続けるよ!と声を張り上げたルビーの肩を、ありがと、と美景が抱き寄せながら続けた。
「一真も、仕事も、世間の評判も——全てを失うんでしょうけど…なんか…過去の亡霊を断ち切れると思うと、人生がリセットされることも、そう悪くはないのかなと思えてきました」
この潔さこそが、きっと本来の美景の姿なのだろう。ともみは、ルビーが慕う“ネキ”の本質を、その清々しい笑顔に見た気がした。
そして、全てを失ったといえば——思い出す人がいる。
TOUGH COOKIESが始まったばかりの頃にやってきた有名女優。裏アカ流出により世間のイメージが崩れて、どん底に堕ちた東条みず穂だ。
そのみず穂が、つい最近、ルビーに連絡をしてきたらしい。
『今年の夏に舞台に出演できることになりました。小さな劇場の脇役で出番は本当に少ないのですが、よかったら、ともみさんとルビーさん、お2人で観に来ていただけると嬉しいです』
LINEの文面をともみに見せながら「でっっっかい花束もって一緒にお祝いしにいきましょ~」とルビーは大はしゃぎだった。
正直なところ、ともみは、みず穂がとった行動には今でも共感できないし、失墜も自業自得だとも思っている。けれど、再び舞台に立つということを知った時、じんわりと胸が温かくなった自分に驚いた。
全ての映画やドラマ、CMを降板。好感度も地に落ち、それまで積み上げてきた、人気女優としての全てを失ったみず穂。けれど泥臭く、這い上がろうともがき始めている。
一度失った信用を取り戻すことは、簡単なことではない。それでも、覚悟さえ決めることができたら…どん底からだって——ほんの少しずつでも、人生はまた進んでいく。
それをみず穂が実証してくれていることに、感謝のようなものを感じた自分が気恥ずかしくなりながら、ともみは、グラスが空になっていた美景に提案した。
「もう一杯飲みませんか?その一杯は、私からのプレゼントということで」
いいんですか?と言った美景の横で、ルビーが、信じられないとばかりにあんぐりと口を開けたけれど、ともみは気づかないふりをした。
― わかってるよ。らしくない。こんなの私らしくないけど。
ミチに教わったカクテルの中の1つ。それを今、美景に出したいと思ったのだ。
ともみはシンプルなロンググラスに削った氷を入れると、艶やかなルビー色のカンパリを注いでいく。熟したオレンジの香りがふわりと浮かんだそのグラスに、スイート・ベルモット、最後にスパークリングワインを足すと、細かい泡が赤い液体の中を泳ぐように立ち上っていく。
最後にオレンジピールでグラスの縁をなぞってから、中に落とすと「どうぞ」と、美景に差し出した。
「オレンジの甘み…でも、きちんと苦いですね」
語彙力がなくてすみません、と照れた美景に、ともみも微笑み返す。
「これは、ネグローニ・スバリアートっていうカクテルなんです。スバリア―トっていうのはイタリア語で間違いという意味なので、“間違ったネグローニ”ってことになります。
あるバーテンダーがネグローニを作ろうとして、ジンと間違えてスパークリングワインを注いじゃったことからできたカクテルなんです。
普通なら失敗。でも、その“間違い”がすごく美味しくて、大評判になって…今では世界中で愛されているお酒です」
「つまりその…」と言い淀んだともみに、ルビーが「ともみさん、わかりにくっ!」と突っ込んだ。
「つまりぃ~。間違いから生まれた大成功もある。だから間違いをただの間違いって切り捨てたらもったいない。“あの間違いがあってよかった”って思える日がくるかもしれないよ?って意味のカクテルってことでしょ?今調べたら、沢山情報、出てきたよ~」
スマホの画面を、ともみに、そして美景に見せたルビーが、「慣れないことするからだよ~」と笑った。
「美景さん、要するにともみさんは、美景さんのこれからの人生を応援するって気持ちでこのカクテルを作った、ってことみたい。気持ちは超こもってるみたいだから、いまいちピンとこなくても、許してあげて♡」
からかわれて「うるさいよ」と睨んだともみを、「かわい~」と茶化し続けるルビー。そんな2人のやりとりに笑う美景のその瞳に——本当に少しだけ…うっすらと涙が滲んでいたことに、ともみもルビーも気づかなかった。
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