「あ〜楽しい。由里子ちゃんみたいな友達ができて本当によかったよ。ありがとね」
― 友達…?
愛梨が独り言のように呟いた瞬間、胸の奥がふわりと温かくなり、涙が出そうになった。
彼女が“友達”だと言ってくれたことが、こんなにも嬉しいなんて…。
ワーママになってみて気づいたのだが、ママ友を作る時間がない。
専業主婦をしている愛梨の話を聞くと、幼稚園は保護者会やら行事やらで親同士が集まる機会が多いみたいだし、平日の昼間にママたちが集まってランチやお茶をする時間もある。
だけど、私は美桜を保育園に預けているから、他の保護者とは送り迎えの時に挨拶する程度。仲良くなるチャンスはほとんどないから、ママ友と呼べる友達が実質いなかった。
◆
「せっかくだからもう少し飲みたい」と言ってくれた愛梨を、私はお気に入りのスナックに連れて行った。
ここは数年前、取引先の方に教えてもらった店なのだが、客の年齢層が高く、ママやバイトの女の子たちも気さくで居心地がいいのだ。
「こういうところで飲むの、久しぶり!」と喜ぶ愛梨。
2杯目のハイボールを頼んだところで入り口のドアが開き顔見知りの女性が入ってきた。
「えっ、まりか…?」
そこにいたのは、かつての“飲み友達”、木下まりかだった。切りっぱなしの黒髪のボブ、骨格の整った顔立ちにロエベのロゴが入ったタンクトップから出るヘルシーな長い腕。
「やば、久しぶり! 由里子?」
「うそ、何年ぶり!? 元気だった?」
「元気元気。こんなところで 由里子に会うなんて、びっくりだよ」
私は嬉しさ半分、気まずさ半分で笑う。
彼女と疎遠になったのは、私が美桜を妊娠したことを報告したことがキッカケだったからだ。それを、覚えているのかいないのか、まりかはケロっとしている。
まりかの左手には指輪がない。きっとまだ独身で、職業も以前と同じWebデザイナーなのだろう。けれど、以前の雰囲気とは違う、どこか吹っ切れたような空気をまとっている。
まりかに隣に座るよう促すと、懐かしい匂いがふわりと鼻をかすめた。
私は間に入り、それぞれを紹介する。
愛梨は「はじめまして、愛梨です」と丁寧に挨拶し、まりかも「よろしくね。愛梨さんって、お嬢様なの?めっちゃ可愛い…っていうか肌きれいすぎ。もしかして年下?」と返している。
「かんぱーい」
3人のグラスがカチンと鳴ったとき、どこか不思議なバランスでカウンターの空気が整ったように感じた。お互いの自己紹介をすると、皆1987年生まれだということも判明し、さらに盛り上がる。
「ところで…由里子の娘ちゃんって、何歳になったんだっけ?」
さすがに触れないわけにはいかなかったのだろう。まりかが言った。
「5月で4歳。意思疎通ができるようになって、ようやく楽になってきたかなぁって感じだけど、時々保育園行きたくないって朝ぐずるの。まだまだ大変だよ」
「わぁ、それうちの息子と一緒だ」と愛梨が笑う。
「息子の圭太はこだわりが強くってね、朝は必ずパン派なの。私はもっとお米食べて欲しいんだけど、用意しても食べなくて…」
まりかがいるのに、うっかり愛梨と子育てトークを展開してしまう。案の定、聞き役に徹するしかないまりかのお酒を飲むペースが早くなっていることに気づき、あわててまりかに話を振る。
「まりかは、最近どうなの?」
私は“彼氏いる?”とか“結婚した?”をオブラートに包んで尋ねる。
「今はね、TIME☆ZONEっていうアイドルにハマってるかなぁ。それと、頻繁にうちに泊まりに来る男がいるんだけど、今は彼氏が欲しくなくてさ…」
まりかはミックスナッツに手を伸ばしながら、さらりと言った。
「へぇ。そう…なんだ」
愛梨の方を見ると彼女も目を丸くしている。私たちは、まりかがアイドルにハマっていることに驚いているのではない。潔いほどに、結婚を意識することなく自由に恋愛をしていることにだ。
まりかは結婚に焦っている様子が全くない。その堂々とした表情が清々しくてかっこよく見えた。
もっと話を聞きたいと思った直後、彼女は店のスタッフにデンモクを要求すると、TIME☆ZONEの新曲を気持ちよさそうに歌い始めた。
◆
白金の自宅に着いたのは、24時過ぎ。
シャワーを済ませそっと寝室のドアを開けると、2つ並んだダブルベッドの端っこで美桜は寝息を立てていた。夫の裕太はその反対側でスマホを触っている。
私は酔いに身を任せ、久しぶりに夫の背中に抱きついた。
「なに?」
「…なんでもない」
ほんの少しだけぬくもりを感じたかったのに、その背中は、思ったよりも冷たく感じた。
「由里子、相当酔ってるね。お酒くさいよ」
「…ごめん」
そっと体を離した途端、急に涙が出てきた。
実は、愛梨に打ち明けられなかった悩みというのは、美桜を出産してからずっと夫とレス...ということなのだ。
産後すぐはその気になれず、最初は私が断ってしまったのだが、いつの間にか立場が逆転していた。
― 私は、何を求めているんだろう。
二人目が欲しい…それも嘘じゃない。けれど、それ以上に、まだ夫に女として見られたいし、愛されたいというのが本音だ。
だけど、そこに向き合うのが怖いし、解決方法もわからない。
周囲には「完璧なワーママ」と言われるけれど、実際は家庭内の問題点に目を背け、日々をただこなしているだけだ。
ベッドの隣で眠る美桜の髪をなでながら、私はただ静かに泣いた。
目を閉じると、まりかの何にも縛られていないキラキラとした笑顔が、まぶたの裏で輝いていた。
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まりかの自由気ままな独身生活の裏側









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でも普通なら通知をOFFしておくだろうけど。