TOUGH COOKIES Vol.6

「この人は私がいないとダメ」と相手に尽くしてしまうのは、ただの独占欲から。次第に執着心に発展し…

「実は朝ドラのヒロインのオーディションが始まる1年程前から、母は余命宣告をされていました。風邪1つ引かない人でしたから過信していたというか、仕事にかまけて健康診断すらまともに受けていなかったようで。

で、突然余命を宣告されたものだから、余計に私の将来について焦ったみたいで」

母との突然の別れのことなのに、まるで他人事のように語るみず穂の肩を、ルビーがそっと抱いた。

お父さんは?と聞いたルビーに、私の記憶にはありません、とみず穂が笑った。

「私が1歳になる頃には両親は離婚していて。子役にしたかった母とそれを許さない父の意見が合わなかったみたいです。一人っ子なので尚更私は、洋子さんを家族のように思っていたんだと思います。

母は自分の余命が分かった時点で会社をたたむことを決意して、私を入れる事務所を探しました。そして信頼できると感じた今の事務所に決めたのです。

私は洋子さんも一緒にと母に頼みました。でも母が許してくれませんでした。洋子さんには大人になった私をマネジメントする力がない。一緒にいてもダメになるだけだ、だから離れなさいと。

そのうちに、洋子さんの方から…私は辞めて地元に帰りますと言われたのです。そして私が3歳からずっと一緒にいてくれた人とお別れすることになりました」

「実質クビかぁ。みず穂ちゃんを裏切ったことは許せんけど…それはちょっとマネージャーさんもかわいそうで切ない話だ」

ルビーの同情に、それでも洋子さんは優しかったんです、と言った。

「マネージャーを辞めても応援していると。距離は離れてもずっと一番の応援団でいると。私は本当にうれしくて。実際に全ての作品を見て感想や指摘をくれましたし、彼女が東京に来た時には必ずご飯を食べに行きました。

だから…」

「うっかり信じてしまいました?そのマネージャーさんとヘアメイクさんだけの鍵アカだから大丈夫だと、愚痴や悪口をつぶやいた?」

ともみの言葉が思いもよらないものだったのだろう。だから…の次の言葉を失ったままのみず穂にともみは続けた。

「たったそれだけのことで、みず穂さんが、裏切られたとか傷ついたとか。その上、活動自粛までしちゃうことが私には気持ち悪く感じますけどね」

「気持ち悪い…」

唖然とした表情でつぶやいた東条みず穂に、ともみは淡泊に「はい」と頷く。

「ちょっとちょっとともみさん?今のはアタシでも意味わかんないよ?うん、理解不能」

ともみさんのことは、だいぶわかってるつもりだけどさぁ、とルビーは眉を寄せて困った顔になった。

「だってみず穂ちゃんは裏切られた被害者なんだよ?それなのに活動自粛しないと世間が許してくれないんだから。全然たったそれだけのことじゃないし、何が気持ち悪いの?」

ともみさんなんてひどいこと言うの!とぷりぷりと腹を立てるルビーをまぶしいとともみは思った。出会ったばかりの他者のために本気で怒ることができる、そのまっすぐな優しさがまぶしい。

ポールダンサーとこの店のバイトで生計を立てているというルビーは、実は生い立ちに恵まれていない。

父親に虐待され続け、その後児童養護施設で育ったのだということを、笑いながら話すルビーに上手く反応できなかった気まずさを、ともみは昨日のことのように覚えている。

この店で働くパートナーとしてルビーを紹介されたとき、光江に半ば強要される形で何度か2人で食事に行ったり、Sneetで飲んだりした。

「2人の間に隠し事はないようにしなさい。それが今度の店をうまくやるために必要なことだ」

光江の指示にルビーは素直だった、そして随分事細かな自己紹介をし始めたのだが、その半生は壮絶で、“自分は自分、他人は他人”が心情のともみでさえも、胸を突く悲しみを覚得ざるを得なかった。

― なのにルビーはいつも明るくて、優しい。

身勝手な大人たちに理不尽に踏みにじられ続けてきたのに、この人はとても強いのだと、ともみはルビーを尊敬した。彼女を自分の側に置いてくれた光江の意図も理解できた。

こうやってルビーの強さを目の当たりにするたびに、その明るさに自分の臆病さがあぶりだされてしまう気がする。

そんな胸のざわつきを抑え込むように、ともみは話を戻した。

「裏切られたのも先に被害者になったのも、自分が先だとマネージャーさんは思われているのではないかと」

みず穂は心外だという顔をした。

「私は洋子さんを裏切ったことなんてないです」

「でも、マネージャーさん…洋子さんはみず穂さんに捨てられたんですよね?それって彼女にとっては十分に裏切りでしょう?」

「いやでもそれは!…私じゃなくて、母が決めたことですし、最終的には洋子さんも納得してくれた円満な別れだから、捨てた、って言い方は…」

「確かに決断はお母さまだったでしょう。でもみず穂さんはマネージャーさんのためにできるだけのことを本当にしましたか?マネージャーさんと一緒じゃないと移籍しないと、お母さまと最後まで闘えばよかったのでは?

お母さまに従わず決裂する道だって選べた。2人で全く違う事務所を探すとか、マネージャーさんと一緒にフリーランスとして活動していく道もありましたよね。だってみず穂さんはもう成人しているのだから。でもみず穂さんはそうしなかった。

それってつまりみず穂さんにも、マネージャーさんよりも自分の将来を守りたいという打算があったからではないですか?マネージャーさんの力に限界を感じていた。だからお母さまに従う形であきらめた。

もしかしたら…彼女なら捨てても許してくれるという甘えもあったかもしれませんね」

「そんな、ことは…」

みず穂は言い淀み、荒々しくグラスを口に運んだ。「マッカランをそんな勢いで飲んじゃダメだよ」と心配そうなルビーをよそに、あっという間にグラスが空になる。


同じものをという注文を受けて氷を削り始めたともみを、みず穂は覚悟を決めたように見つめながら語り始めた。

この記事へのコメント

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No Name
たった一度のうっかりミスが命取りになると言う事は多々あるよね。それを、私だけが悪いわけじゃないのにとかミスは誰にでもある事だから…等の開き直り的な考え方も良くないと思う。世の中にはミスが許されないケースの方が多い。パイロットがミスすれば墜落して多くの犠牲者が出る、医師看護師もミスが患者の死に繋がる場合も。 やってしまった事の反省と謝罪は真っ先に必要だったと思うから、ともみに言われるまで気付かなかったみず穂もちょっとズレてるなぁとも感じた。 CM等は特にイメージが大切だから今は無理だと思うけど、本当にお芝居が上手ならほとぼりが冷めた後いくらでも声はかかるはず。
2025/03/27 05:4033
No Name
ともみは言ったこと全てがどストライク過ぎて、すごいスッキリした!
2025/03/27 05:2827返信2件
No Name
被害者ぶったところで人生が好転することなんてないです
本当にその通りですね。すごいボリュームで読み応えもすごかったけれど、この連載では珍しく脱字(入力ミス) が目立っていて残念でした。多分、作者と入力する人は別だと思うけど、人気連載なので読み返すなどして防いて欲しいです。
2025/03/27 05:5624返信6件
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