かわいく生きられない女たち Vol.3

「恋愛してないとダメ?」桜蔭から東大を卒業した29歳女が、初めてぶちあたった難題とは


「あのメールが大問題になってはるよ」

水瀬次長は、私が席に座ると切り出した。

穏やかな口調だが、彼の切れ長の目は「何ひとつ見逃さない」と言っている。彼は京都大学を主席で卒業しており、丸の内本部での経験も長い。年は40歳で、プレイヤー歴も私より上だ。

「どのメールですか?」

「支店にメールを送った際に、添付資料を間違えたんちゃうかな」

必死で記憶を巻き戻す。うちの部は殺人的な仕事量で知られている。過去に送った膨大なメールを思い返していると、彼は助け船を出した。

「『婚活男性スコアリングシート』。A社の案件にエクセル送ったやろ」

私は「間違えて送ってしまったと」いう事実を挽回するために、あのシートの正確さを主張することで巻き返そうとした。

「あ、あれは…論文や科学的根拠に基づいて『この条件なら結婚してもいい』という点数をつけた表です。正確だと思いますよ」

しかし、それはうまくいかなかったようだ。やれやれといったように彼は首を振った。

「そういうことやないんやけど。でも、そんなにそのシートの話をしたいんやったら言うとくわ。恋は理屈やない。恋をしても賢うおるなんて、不可能や。頭で分析しすぎ」

彼の左手には結婚指輪が光っている。確かお子さんも3人いたはずだ。奥さんは専業主婦だと聞いている。典型的なエリート銀行員だ。きっと若いときからモテたはずだ。今だって、社内では人気がある上司だ。

一方の私は、中学から女子校で、東大に入ってやっと彼氏ができたけど……それだけ。他に経験はない。

初めての彼氏は男子弓道部の部長。私が女子部の部長だったから、なんとなく付き合うことになっただけだ。しかし、社会人になってから別れてしまった。あれから5年、今まで彼氏はいない。

「全国模試は70でも、恋愛偏差値は30ってことやね」

次長は冗談っぽく言うが、痛いところをついてくる。

― 今まで頭を使って、受験も仕事もうまくいってきた。だからそれ以外の方法がわからないだけなんだよね…。

「じゃあ、どうしたら恋愛偏差値上げられるんですか?」

思わず私は聞き返しそうになり、言葉を飲み込む。尋ねる相手を間違いすぎている。

何も言い返せない私に、彼が沈黙を破る。

「僕としても、有賀さんの評判を落としたくない。せっかく一カ店目で表彰されて、この選ばれし部署に来たんやないの。昇格もしたのに、他の同期のためにあんなもの作って、間違えて送るなんて君らしくないよ」

「他の同期のために作った?」

「え、誰かのために作ってあげたんちゃうの?」

「あれは自分のために作りました」

水瀬次長は驚いて目を大きく見開く。でも、次に彼から出た言葉は、もっと私を驚かせた。

「有賀さんって『恋愛に興味はない!私はキャリアと心中する!』ってタイプやなかったんか?」

そういう偏見には慣れている。東大の院卒ってだけで、恋愛に興味がないキャリア志向だと思われる。

「そんなことないですよ。東大の院卒ってだけで、そういうふうに思われるのも心外で…。恋愛に興味がないわけではありません」

「あ、そう。なら知り合い紹介しよか?いい子がいてはるよ」

何この展開?次長に男を紹介してもらうとかありえない。

「えっと…結構です」
「なんで?」

間髪入れずに彼が尋ねる。

水瀬次長は京都にある老舗の呉服屋さんの出身だ。地元が大好きで、家族は京都に残り、彼も毎週末のように新幹線で帰っている。

そんな彼が紹介する人は、きっと京都の老舗和菓子屋とかの息子で、見た目は清楚なあざと系女子が好みに違いない。私みたいに可愛らしくないバリキャリは嫌われるに決まっている。

断りの言葉を考えていると、彼は「まあ会ってやって」と言い、こう続けた。

「確か、あの子も有賀さんと同じ…」

彼が言い終わる前に、ノックの音がして、アシスタントの女性が入ってきた。

「水瀬次長、そろそろ出発のお時間です」と彼女は告げた。

「あ、出張やったね。じゃ、紹介の件は考えておいて。あのシートの件は僕がなんとかしておくから」

その前に言いかけたことが何なのか、聞く前に彼は去ってしまった。



「はぁ…」

仕事を終えて、女子寮の大浴場に入った。鏡にうつる私は、まるで最悪の一日を生きのびてきたように疲れて見える。

湯船に浸かると、同期が入ってきた。私は彼女に『婚活男性スコアリングシート』を間違えて添付して送ってしまった話をした。失敗談は良い。学歴の壁をやすやすと越えさせてくれる。

彼女は「あーあのシートね…」と、もくもくと上がる湯気を見ながら言った。

「前に見せてくれたけど、めちゃくちゃ採点基準が厳しそうだったな。クリアした人いるの?」

「最近、隣の部署に来た人でひとりだけいたわ。でも口を大きく開けて笑っていたのを見て…これは、うしろめたい気持ちにさせられることを嫌う、外向型タイプの典型例なの」

「で、実際にデートした人は?」

「ううん、まだ誰とも」

沈黙。先に口を開いたのは、彼女だった。

「料理本のたとえ知ってる?」

「知らないわ。何それ」

「一度も食事を作ったことがない人が、料理本を書いちゃダメってこと。恋愛も同じで、恋愛経験の少ない美月が、評価するシートを作るのはちょっと違うよ。頭で考える前に、まずはいろんな人に会ってみたら?採点はそれからでいいのよ」

そこで、今朝の水瀬次長の話を思い出した。

「上司がいい人紹介してくれるって言ってるんだけど…」

「いいじゃん!」

「でも、上司の紹介って断りづらいし。どんな人か全くわからないし」

「美月に一番足りないのは『とりあえず会ってみる』の項目だと思うよ」

彼女は言い終わり、立ち上がった。

私は彼女の下半身に目が釘付けになる。VIO脱毛を始めたと聞いてはいたが、ここまできれいになるとは驚いた。どうやら最近、婚活をがんばっているらしい。

彼女のVIOを見て急に焦ってきた。

― 私もそろそろ、前に進まなきゃ。とりあえず会うだけでもいいのかもしれない。

じりじりする私をよそに、彼女は「いつか美月とダブルデートできたらいいなぁ」と無邪気につぶやいている。


大浴場から部屋に戻り、次長に「紹介の件を前向きに検討したい」とLINEを送った。

すると15分後に返事がきた。

『今週末の土曜18時、新丸ビルの「リゴレット」

― え、話早くない?相手の事前情報は…?ていうか、まだ会うなんて一言も言ってないし!

『会う前に相手のプロフィールが知りたいです』

一応上司なので丁寧に返信する。しかし、『それ教えるとあれこれ考えるやろ。事前情報なしってのもたまにはいいやろ』と返された。

不安でたまらない。キャンセルしようかとも思った。

でも『リゴレット』は私も大好きなお店だ。

かわいらしいタパス、おいしいお酒、キラキラした夜景、気さくな店員たち。

それらは頑張って勉強して桜蔭から大学に行き、銀行に入った先に待っていた“ごほうび”のようなものだ。

私は特段かわいくもなければ、スポーツも得意ではないし、愛想も良くない。小さい頃から「頭を使わなきゃ、この世界は生き延びていけない」と思っていた。

いつも「頑張る!」と自分に言い聞かせてきた。男性はもちろん誰かに甘えることなく、自分で自分を支えてきた。それが私の生き方だった。

最近、ふとした瞬間に「よく頑張ったね」と、昔の自分に声をかけたくなることがある。

― 私だって、たまには誰かに甘えたい。私の人生に恋愛が加われば、もう何も言うことはないのかも。

男の人と素敵なレストランにプライベートでいくなんて、何年ぶりかな…。楽しみと不安が入り交じって、どう気持ちを整理していいのかわからない。

でも、これも自分の恋愛偏差値を上げるための第一歩なんだ、と自分に言い聞かせた。

そのままVIO脱毛について調べ始めた。土曜までに間に合わせようとしたが、それは明らかに難しそうだった。

自嘲気味に笑いながら、やっぱり準備は完璧にはいかないものね、と思った。


土曜日の18時に店の前に着くと、思いもかけない男性が立っていた。

「え、有賀!?」
「うそ、なんでいるの…」


▶前回:出会いを求めて参加した結婚式の2次会。28歳女が、ハイスペ男を前に大苦戦したワケ

▶1話目はこちら:メガバンク勤務、28歳ワセジョの婚活が難航するワケ

▶Next:10月24日 木曜更新予定
次回は「理論値では最悪。なのに惹かれる!」……東大女子はつらいよ

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この記事へのコメント

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No Name
全体的にツッコミどころ満載なのですが…

次長の美月に対しての「〇〇してはるよ」というのも気になった。敬語なんですが…むりやり京都弁を入れた感じ。
最後のVIO脱毛だって、初対面の人に会うからといって脱毛を検討する箇所ではない。手足ならともかく。
2024/10/17 05:2428返信2件
No Name
脱毛について、今週土曜までに間に合わせようとしたがそれは明らかに難しそうだった。
当たり前じゃない、レーザーの永久脱毛なら6-10回通わないとなんじゃ? しょうもな。ボーボーなら見える所だけとりあえず自分でカミソリ処理でもしとけば?
2024/10/17 07:1722返信1件
No Name
添付資料間違うなよ🤣
同僚や後輩がこんな凡ミスしたら小馬鹿にするんでしょう、東大様は。  しかし高学歴女性なんて珍しくも何ともない時代に、何故ここまでおかしな主人公に設定するんだか。
2024/10/17 06:5820返信2件
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