「かたぎり塾、かたぎり塾…あった!」
手元のスマホで検索してみると、どうやら「かたぎり塾」というパーソナルジムらしい。
「へえ…こんなに店舗数があるんだ。ほんとだ、学芸大にもある」
公式ホームページに書いてある特徴は、どれも真希が“ジム”に持つ、無骨でマッチョなイメージを覆すようなものばかりだ。
きつい食事制限で痛い目を見た人でも続けられる、無理のない食事管理。トレーニングプログラムは、医師監修の安心な内容。しかも、継続期間の縛りもないのだという。
これまで、どんなダイエットもやり遂げることができなかった真希だ。
ダイエットするからには綺麗に痩せたい。そのためには筋トレも必要不可欠だということは理解しているものの、ひとりでチャレンジしたところで3日坊主になることは目に見えているし、そもそも正しいやり方もわからない。
そんな悩みも、パーソナルジムなら解決するかもしれない…。そんな予感がした。しかも「かたぎり塾」では、無料体験をしてから入会するかどうかを決められる、とある。
― 無料体験、私みたいな運動音痴でも行っていいのかな…?
まったく自信はなかったが、ふと隣を見ると、スマホの薄明かりのなかで慎二の寝顔が見えた。
この寝顔を、自分以外の誰にも取られたくない。
そう強く感じた真希は、不安を覚えながらも無料体験への申し込みを済ませるのだった。
◆
数日後。
『慎二。今日は予定があるから、いつもより遅く帰るね。ご飯は先に済ませちゃってください』
慎二にそうLINEを送りながら真希が向かったのは学芸大学駅近くにある「かたぎり塾」だ。
無料体験の予約を入れて、こうして会社帰りの今日、初めて「かたぎり塾」を訪れている。
― 「ウェア・シューズも無料貸し出しするので、手ぶらで通っていただけますよ」って言われたから、本当に手ぶらで来ちゃったけど…大丈夫かな…。
いざこうしてドアの前に立つと、不安と緊張で押しつぶされそうになる。瑞穂と遭遇したら気まずいという思いもあったが、人目を気にしないプライベートジムだ。きっとその心配はないだろう。
― とにかく、一歩進まなきゃ…!
慎二への想いを力に変えて指先に込め、扉を開く。そんな真希を待ち受けていたのは、思いもよらない光景だった。
「わあ。いい香り…!」
ドアを開けた瞬間真希を出迎えたのは、まるで高級エステのようなアロマの香りだ。
― ジムって、もっと汗くさいのかと思ってた…!
白を基調としたインテリアも清潔感があり、BGMもセンスが良く、否が応でもテンションが上がる。
「こんにちは!体験の方ですよね、お待ちしてました」
「あっ、よろしくお願いします」
出迎えてくれたトレーナーも、とても気さくそうだ。
「本日は無料体験、楽しんでくださいね!」
「は、はい!」
明るいトレーナーの笑顔に、緊張が解けていく。気がつけば真希はすっかり笑顔を取り戻し、期待で瞳をきらめかせている自分を発見するのだった。
◆
「1、2!1、2!はいあともう1回!」
「う、うーん!」
先日の無料体験を経て「かたぎり塾」に入塾した真希は、週2回トレーニングに通っている。
入塾時に、綺麗にワンピースを着たいという真希の目標に向けてトレーナーが考えてくれたトレーニングメニューをこなす日々だ。
お財布に優しい低価格なので無理なく通えるし、実績のあるプロフェッショナルなトレーナーは指導力が高いだけでなく、親身になってダイエットの相談に乗ってくれる。
専用アプリでスムーズに予約を取れるし、目標や体重・体脂肪率の管理もできるので、これまでダイエットが続かなかった真希でも無理なく通えているのが嬉しい。
「今日もお疲れさまでしたー!」
「はぁ、はぁ…ありがとうございます」
トレーニングを終えて運動後の無料のプロテインを味わっていると、トレーナーが声をかけてくる。
フレンドリーなトレーナーとは、今ではすっかりパートナーのような関係だ。体のことだけでなく恋愛の悩みも聞いてもらっており、トレーニング後にも会話がはずむことも少なくなかった。
「真希さん、素晴らしいですね。トレーニングにしっかり取り組んでおられますし、食事の管理も完璧です」
「トレーナーさんのおかげです。まさか、たった1万円プラスするだけで食事指導も追加してもらえるなんて」
店舗別公式LINEで朝・昼・夜・間食の写真を送ることで、1日分の食事をまとめてトレーナーがフィードバックしてくれる。そのおかげで、もうサラダだけで1日過ごすような無茶なダイエットからは脱却し、心身ともに生き生きとしたダイエットに取り組めているのが嬉しい。
けれど、順調にダイエットが進んでいるというのに、トレーナーはふと心配そうな表情を浮かべた。
「でも真希さん、本気なんですか?あの決意…」
“あの決意”。それは、真希がかたぎり塾に入会する時に決意したことだ。
3ヶ月後の慎二の誕生日までに、最低5kg痩せる。
そして──。
あの思い出のワンピースを着て慎二に、真希の方から逆プロポーズする。
真希は、口をつけていたプロテインのカップをゆっくりと下ろした。
「はい。もちろん、本気です」
「でも、失敗したら別れる…まで決めなくても」
トレーナーの言うとおり、真希が決めたのは、逆プロポーズだけにとどまらない。
もしプロポーズを断られたら、慎二とはきっぱり別れる。
それが、真希が自分自身に課した、慎二への愛の強さに比例したダイエットのハードルなのだった。
プロテインに視線を落としながら、真希はもう一度、決意を言葉にする。
「…だって、あの思い出のワンピースを着られるほど綺麗になったら、慎二に本気の愛が伝わるはずだから。きっと慎二は、OKしてくれるはずです。
もし振られることがあるとしたら、それはきっと、私が痩せられなかった時だけ。ワンピースを着こなせない──誇れない自分でいたときは、その時は…」
その時は…。
潔く慎二を、瑞穂に譲ろう。
大好きな慎二には、なにがなんでも幸せになってもらいたい。それが、真希の心からの願いだった。
声が震えて最後まで話すことができなかった真希に、トレーナーがうなずく。
「大丈夫です。真希さんの目的が達成できるよう、僕が精一杯サポートしますから」
「…はい、ありがとうございます」
決意を新たに、真希はプロテインを飲み干す。
そしてついに、3ヶ月後の運命の日がやってきたのだった。