未来が人事部のフロアに戻ると、後輩のエミリが、席でこっそりスマホをいじっている。
画面をスクロールしながら、独り言を言っている。
「このデパコス、かわいい!ウィッシュリストに追加しちゃおう」
「…ん?ウィッシュリスト?」
未来は思わず反応してしまう。
「はい。なんか良さそうっていうものを、気軽にリストにしているんです」
興味があることを、気軽にリストにして、達成できたら素直に喜ぶの―。
亜希子の言葉がよみがえる。
未来は自分の席でメモ帳を広げ、ペンを片手に持つ。そして、願いごとを書いてみた。
『もっといろいろな経験がしたい』
ひとつ書いたところで、未来のスマホが震えた。
『悠斗:今週末、会うのは夜からで良い?場所はいつもの店で』
今週末は、大学時代から付き合っている恋人・悠斗との交際4年記念日なのだ。
◆
週末。
「4年記念、おめでとう!これからもよろしくね」
未来と悠斗は、飲みなれた味のスパークリングワインで乾杯した。
緊急事態宣言中でもお酒が飲めたこのレストランを訪れるのは、もう何回目になるだろう。
「やっぱりこの店が落ち着くな。俺たちのサークルの集まりも、ずっとここだったしな」
未来が悠斗と出会ったのは、早稲田大学のテニスサークル。近隣の学習院女子大学からインカレで所属することができたので、未来は参加した。
「そうだね。よく練習の後、ラケット持ったまま大勢で押しかけたよね」
この店はガヤガヤ感がなく、かといって気取ってもいないちょうどいい雰囲気で、重宝していた。
「そうだ、私たちのインカレサークル、どうなるんだろう?学習院女子大、なくなっちゃうでしょう?早稲田だけのサークルになるのかな?」
未来と悠斗は、取り留めのない話をする。
「どうだろう。サークルの奴らに今度聞いてみよう。そうだ、この前うちの設計事務所にOB訪問に来た後輩が、未来に会いたがってたよ」
悠斗は現在、建築設計事務所に勤務していて、一級建築士を目指し勉強中だ。
交際期間が長い未来と悠斗は、サークル仲間の間でも、恋人以上、夫婦未満のような扱いを受けている。
― まあ、私も将来は悠斗と結婚するつもりだけど。
悠斗も『俺が一級建築士の試験に合格したら、結婚しよう』と常々言ってくれる。
悠斗の顔を見ながらスパークリングワインを飲むと、交際してから4年間の思い出が、昨日のことのようによみがえってきた。
― 大学対抗戦に出場した悠斗の最終試合は、緊張したなあ。あと、サークルメンバーで企画した、悠斗の大学院の卒業パーティー。楽しかったな。
そのとき、未来は不意に愕然とする。
― あれ?私、自分メインの思い出がほとんどなくない?
未来の胸に、ふいにもやもやとした気持ちが広がる。
悠斗の人生を応援し続けた結果、自分は何も経験せずに年を取ってしまったのではないか。
そんな疑念が浮かんだのだ。
「未来、俺、決めたんだ」
早くもマリッジブルーになりかけていた未来は、ほろ酔いの悠斗の声で、我に返る。
「2年後までに、絶対に一級建築士の試験に合格する!うちの事務所は忙しいけど、俺、決めたんだ。そしたら結婚しような」
2年後。
そう聞いて、未来はほっとしてしまう。
2年間というのが、自分に与えられた猶予なのかもしれないと思ったのだ。悠斗と人生を歩み始める前の、自分のためだけの2年間。
未来は、ひそかに決心した。
― 私も、ウィッシュリストを作ってみよう。自分軸の人生を楽しんで、それから迷いなく結婚する!
「悠斗、ありがとう。私、頑張ってみる」
少し的外れな返事になったが、未来の気持ちは、これまでになく前向きになっていた。
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この記事へのコメント
あまり好きになれなそうな主人公なのも、心配要素。