2024.02.24
アオハルなんて甘すぎる Vol.5「…最近、人の善意に守られて、というか…優しさを感じることが多くて。伊東さんのお話もですけど、私自身も…」
「オレ、多分日本にいる時も、誰かの善意に守られてたはずなのに、全くそれに気づけなかったんだろうな、って思う。フランスに来て気づかせてもらったから、今は、そのお返しを始めてるところ」
その後、研修生として、その3つ星レストランで学び始めた伊東さんは、めきめきと実力をつけ、32歳の時に、ビザを出し続けてくれたオーナーの出資で、自身がメインシェフとなるレストランをオープン。
オープン1年で1つ星、さらにその1年後には2つ星を獲得するという驚異の快進撃で、またたく間にスターシェフになった。
「次は、3つ星を獲る、ということが目標ではあるけれど、それは、オレを信じ続けてくれたオーナーへの恩返しの気持ちがある。でもそれだけじゃなく、今度はオレが、若い世代に返していく。沢山の才能に活躍の場を与えたい。
そのためにも、自分の精度を高め続けないといけないし、まだ夢の途中にいるよ」
「夢の途中、ですか?」
「そう。たぶん、オレ、夢見ることを一生やめられないと思う。毎日、料理が上手くいかなかった、とか、今日の味、ちょっと失敗だな、とかあるし。おいしい、を追求していくことに終わりがないから。36歳になったのに、まだまだ夢の途中、って感じで、体力使うんだよ」
そう言って笑った伊東さんは、まるで少年のように無邪気で、とてもまぶしい。
「…なんか授業料払わなきゃいけない気持ちになってきました…」
「じゃあ、今度東京に戻った時に、一杯おごってよ」
連絡先を交換しよう、と伊東さんに言われて、LINEのID交換をしていると、雄大さんが戻ってきた。帰りはどこまで送ります?という伊東さんの問いに、大輝くんから、アパルトマンに戻ってきて、という連絡がきていたことで、アパルトマンまで送ってもらうことになった。
酔いがまわったのか、車内で爆睡してしまったことを謝りながら、私は車を降りた。伊東さんは、今度は東京で、と笑顔で手を振り去っていった。
「ちなみに、伊東くんは独身。今、彼女もいないはず」
「…え?」
「ま、一応、情報としてね」
雄大さんの言葉が真顔で唐突で、反応に困る。これは、恋愛のススメ、なのだろうか。そんなことも言うんだ、と意外過ぎて、私はむくむくと好奇心がわき、アパルトマンのエレベーターの中で聞いてみた。
「ちなみに雄大さんは、彼女は…」
「彼女はいない」
「彼女は、ってどういうことですか?」
「大人なのでね、そりゃいろいろ」
いろいろってなんですか、と私が突っ込もうとしたとき、エレベーターが5階に到着した。部屋のドアが開くと、大輝くんが、お帰り、と出迎えてくれた。
「…愛は?」
「号泣後、沈没です」
リビングに戻ると、ブランケットをかけられた愛さんがソファーですやすやと眠っていた。号泣の言葉通り、目を閉じていてもわかるくらい、その目が腫れている。
「で?話し合いとやらは?」
「愛さん、最初はめちゃくちゃキレてたけど、キョウコさんの状況とか、なんでオレが彼女を好きになったのかとか…全部を正直に話していったら、少しずつわかってくれて。大輝も必死なんだね、どうしようもないんだね、過剰反応しちゃってごめん、って号泣した」
リビングのテーブルに置かれた、少なくはないワインの空ボトル、そしてデリバリーの残骸を見ながら、雄大さんが言った。
「でも、酔っぱらってんだろ、また。覚えてるのかな、明日の朝」
「たぶん、大丈夫。話し合いの時は飲んでなかったんだ。飲み始めたのは、話し終わってから。愛さんが、大輝のこと大好きだから怒るんだよーって何回も言ってさ。愛さんってやっぱかわいい人だよね」
「かわいい、というか…毎度毎度、感情むき出しで迷惑だよ」
その時、愛さんが寝がえりをうち、かけられていたブランケットが床にずり落ちた。雄大さんがそれを拾い、愛さんに掛け直す。その仕草がとてもやさしく見えて、なんだかひどくキュンとしてしまう。
「雄大さんと愛さんってやっぱり…ラブな関係かな?」
「…は?」
しまった。心の声が漏れた。雄大さんの顔が怖い。大輝くんが爆笑して、愛さんが起きないか心配になったけれど、全く起きる気配はない。
「雄大さん、宝ちゃんが質問してるよ?答えてあげなよ」
雄大さんが大きな、大きなため息をつき…私は自分の失態と、この後の展開が怖くてフリーズした。
▶前回:夫が会社の部下と恋に落ちた。とんでもない男の態度にショックを受けた妻は…
▶1話目はこちら:27歳の総合職女子。武蔵小金井から、港区西麻布に引っ越した理由とは…
次回は、3月2日 土曜更新予定!
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