2024.02.24
報われない男 Vol.3女子学生から解放された大輝は、京子を追いかけた。京子は、授業が終わればいつもすぐに帰ってしまう。次の授業は、京子の都合で、2ヶ月先になると聞いていた。だから今日、どうしてももう少しだけ、京子と話しておきたかった。
大輝は今、半年後が締め切りのシナリオコンテストに応募するつもりで作品のプロットを作っていた。京子は相談すれば、律儀な指摘を返してくれる。京子との時間を作りたいためだけに書いているわけではないが、京子に自分の作品を認めてもらいたいという想いが、創作意欲を掻き立てることにもつながっていた。
校舎を出て構内を抜け、京子がいつも使っているバス停へ向かう道を急ぐと、髪を一つに束ねた京子のすらりとした後ろ姿が見えた。ホッとして、さらに駆け寄ろうと思った時、隣に並んで歩く、同じく髪を一つに束ねた女性に気がついた。
― 先生の講義を受けてる子じゃなさそうだけど。
京子に嬉しそうに話しかけるその女性の横顔は、大輝と同世代に見えた。
彼女も京子に相談しているのだろうかと思い、声をかけることを遠慮し、大輝はしばらく2人の後を歩いた。京子のいつものバス停を通り過ぎても、2人は歩き続けていく。
オレ、ストーカーみたいで気持ち悪いかな、先約があるなら今日は諦めようか、などと思いながらも、京子を追う足を止めることができずにいた大輝は、あることに気がついた。
隣の女性がはしゃぐように京子に話しかけ続けているのに対して、京子は、1度も彼女の方に顔を向けていない。
京子は、口数が多くなく、愛想がよいタイプでもないが、話す相手の目をしっかりと見て受け答えをする。それは大輝に対してだけではなく、他の人とのやり取りを見ていてもわかる。そんな彼女があれだけ話しかけられているのに、一度も顔を向けないなんて。
違和感を覚えた大輝をよそに、2人はカフェに入り、窓際の席に向かい合わせて座った。
注文を取りに来た店員と言葉を交わす京子の顔に笑みはなく、店員が立ち去った後に対面の女性に戻された視線は、まるで何かを恐れるように、こわばって見えた。
― やっぱり、先生の様子が変だ。
大輝は心配になり、かといって正面に居座ることもできず、少し離れた所にあったガードレールに座りながら、京子の様子を見守った。対面の女性の顔は大輝の方からは見えなかったが、身振り手振りで話し続ける対面の女性に対し、京子は時々、短い言葉を発するだけだった。
15分程たっただろうか。京子は、その女性を置いたまま席を立ち、店を出てきた。その足もとがふらついた気がして、気づけば大輝は京子に駆け寄っていた。
「先生、大丈夫ですか?」
大輝を見た京子の瞳が、驚いた後、揺らいだ気がした。どうしてここに?と言われると思ったのに、京子が口にした言葉は意外なものだった。
「…どこかに…どこかに連れて行って」
「…え?」
「彼女から離れたいの…すぐに」
京子の唇は震えていた。今にも倒れてしまいそうな程顔色が悪く、大輝は思わずその肩を支えた。店内に目をやると、京子の対面に座っていた女性が振り返り、こちらを見ている。
大輝と目が合うと、その女性はほほ笑んで、ぺこりと頭を下げた。改めて見るとその顔に見覚えがある気がしたが…今は京子のケアが最優先だった。京子を支えながら女性に背を向けて、自宅へ帰すためにタクシーを止めた。
タクシーに乗ると、京子は背もたれに体をあずけて、目を閉じた。先生、運転手さんにご自宅の住所を…と大輝が言っても、京子は目を開けず、反応しない。
あの…どこに行けば…と、困った顔の運転手に頼られ、ぐったりと動かない京子への心配も増し、大輝は自分も乗り込むことにした。
「とりあえず、千駄ヶ谷の方に向かってください」
以前の雑談で、京子が夫と住むマンションは、千駄ヶ谷にあると大輝は知っていた。好意を向けてくる男に自宅の住所がばれるのは気持ちが悪いかも、と気を使い、1人で帰そうと思ったのだが、結局乗り込んでしまった。
顔色を失くし、苦しそうに眉間にシワを寄せる京子を見つめていると、大輝の胸が痛んだ。抱きしめて慰めたい欲をぐっとこらえるため、大輝は京子から視線を外した。
しばらく沈黙が続いた後、ごめんなさい、迷惑かけて、と小さな声が聞こえた。大輝が京子に視線を戻すと、京子は窓の外を見ていた。気にしないでください、と言った大輝に、窓の外を見たままで続けた。
「大輝くんは、お酒を飲む人?」
「…え…?」
京子に初めて大輝と呼ばれた衝撃で、すぐには答えられなかった。うれしいけれど、その弱った声に素直には喜べない。大輝の返事がないことで、伝わらなかったと思ったのか、お酒、飲む人?と、今度は京子に見つめられたので、大輝は慌てて答える。
「はい、そんなに強くはないかもしれませんけど」
「じゃあ飲みに行かない?今から」
「…2人でですか?」
「…家に帰りたくないの。付き合ってよ」
弱ったままの笑顔でそう言われて、もう、大輝が断れるはずはなかった。
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