「実は、子どもが欲しいんだよね」
「…!」
健太郎が赤裸々に打ち明けた言葉は、確かに意外なものだった。
私はその驚きを隠さず、率直に感想を伝える。
「ちょっと意外ですね。結婚したくないタイプの人かと思った」
「それも合ってる」
「どういうこと?」
「俺の遺伝子って、率直に言って優秀でしょ。頭が良くて、才能もあって、体格もよくビジュアルも悪くない。この優秀な遺伝子を世に残したいと思って」
「うん」
「でも、自由でいたい。結婚という制度に縛られたくない」
「なるほど」
「それで、子どもを作るパートナーが欲しい。理想は、結婚しないことに納得してくれて、ビジュアルが良くて、頭がいいこと」
あまりにも上から目線で身勝手な願望。でも、健太郎の口から聞かされると素直に納得してしまう。私は、ごく客観的な視点から相槌を打った。
「結婚しないで子どもだけっていうのは、日本の女性にはハードルが高いでしょうね」
「そうなんだよ。こんなこと言うとみんな引いちゃうし…」
冷静に話を聞いていた私だったけれど、次に健太郎の口から飛び出た言葉には、さすがに一瞬たじろいでしまった。
「あのさ…モモちゃん。どう?俺のパートナーにならない?ビジュアルもいいし、学歴も申し分ない。俺からしたら理想通り」
「えっ!?私がですか?健太郎さんと…?ご、ごめんなさい。そんなこと、急に言われても…」
「今日突然で、無理なのはわかってる。これから、考えてみてよ。少しずつ仲良くなっていって、結論が出たら教えて。大事な人生だから」
「正直…私も、結婚制度には疑問がありますけど…」
「でしょ。そうだと思った。俺は、子どもとパートナーを一生をかけて大切にすることは約束する。子どもの面倒も見るし、金銭的な面は全て俺が賄う。真剣に考えてほしい」
この夜、互いにほろ酔いだったことは事実だ。
しかし、健太郎の濡れた瞳からは、彼の信念が感じられた。
翌朝。私はひとりキッチンに立って、コーヒーを淹れながら昨夜のことを思い出していた。
― 健太郎さんに、「考えてみて」って言われたけど…。
自信過剰な言い振りではあった。しかし正直に言えば、そんな健太郎の考え方に好感を持っている自分がいる。
私が彼の提案にまんざらでもない理由は、きっと、過去のトラウマにあるのだろう。
◆
エンゲージリングを左手の薬指にはめたのは、2年前のちょうど今ぐらいの季節のことだった。
相手は、5歳年上の彼。社会人になってすぐに付き合い出し、3年の同棲を経て婚約をした。
両手いっぱいの花束と共にプロポーズを受け、ダイヤモンドの指輪を身につけながら過ごした半年間は、どれだけ幸せだっただろう。
だけど、あらためて両家顔合わせの準備をしていた矢先に…彼の浮気が発覚した。どこにでもある、ありふれた話だ。
いっときの遊びだったことは、わかる。
彼が私や私の家族を大切に想ってくれていたことも、わかっている。
ただ、裏切られたこと。嘘をつかれていたこと。
そして、私が向き合っていたつもりだったのは偽りの彼だったということに、耐えられなかった。
たとえ彼が改心したとしても、心から信頼することはもうできないだろう。
愛する夫を疑いながら生きていく覚悟も、できそうにない。
彼と過ごした3年間。
輝くダイヤモンドの指輪。
幸せな婚約期間の記憶。
それらの全てを葬って──私は婚約破棄をした。
◆
― 傷つくのはこりごり。だから、私は最初から男性のことは信頼しない。
過去の辛い経験は、“恋愛”や“結婚”といった甘やかな世界への興味を失うのに十分な理由になった。
そもそも、結婚という男女を縛り付ける制度自体が不要だと思う。
恋愛感情の上に成り立つ幸せなんて、笑ってしまうほど簡単に壊れるのだ。
それ以来、特定の彼を作らずに、東京の街を放浪している。
誰か一人をずっと愛するなんて、不可能だ。相手のことを信じられないのはもちろん、自分自身にも約束できない。
健太郎の考え方には、偽りがない。ある意味、健全とも言えるのかもしれない。
― 私が求める幸せって何なんだろう。
私自身も、納得できる答えを出したい。
30代目前。女にとっては、人生最後のモラトリアムの時期だ。
冷静な視点に立ちながら、色々な人と向き合ってみるべきなのだろう。
ここは東京。様々な人脈を擁する“外コン勤務”というステータスを武器にすれば、きっと、たくさんの魅力的な人たちに出会えるはずだから。
だけど…。
「私が求める幸せ」がなんなのか。それがはっきりするまでは、簡単に心を許したり、異性に振り回されたりするつもりはなかった。
どれだけ魅力的な相手に出会っても、どれだけ納得できる生き方を聞かされても、過度に期待しない。
それは…自分を傷つけるだけだから。
朝陽の差し込むキッチンで、苦いコーヒーを飲みながら、私は密かに心に誓った。
「よし。健太郎さんからの提案も検討しながら、並行して出会いを探していこう。
だけど、本当に納得できる幸せが見つかるまでは──
私、絶対に落とされない」
▶他にも:「見てこれ」と彼が差し出したスマホ。画面に映る“奇妙なもの”を見て、女は絶句し…
▶Next:8月29日 火曜更新予定
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この記事へのコメント
結局は妻(女性側)に甘えるような気がしてしまう。お金で解決も出来るけど度が過ぎると子供が寂しくて七夕の短冊に新しいパパくださいとか書かれてちゃうかも🤣
健太郎が望む子供のためのパートナーは、とりあえず同じ業界の多忙な女性は止めたほうがいいかも…と思いました。
五体満足で産まれてくることは当たり前のことじゃないよ
そしてどんな風に産まれてきても愛おしい存在だよ