SPECIAL TALK Vol.98

~分野を問わず、そのときの自分にできることを。あらゆる経験を生かしてフードロス問題に挑戦したい~


慈善活動に携わったことが大物実業家との出会いにつながった


金丸:山田さんは留学した時点で、不自由しないほど英会話ができたのですか?

山田:あくまで「英文科を出た人の英語」レベルだったので、実際に生活するとなると、しょっちゅう困っていましたね。たとえば、飲食店で注文したあとに“For here or to go?”と聞かれて、「え?なに?」って。

金丸:店内で食べるか、持ち帰るか。

山田:そうです。テイクアウトを“to go”と言うことも知らなくて。

金丸:それで嫌になりませんでしたか?

山田:むしろ“Excuse me?”と、分かるまで聞きまくりました。「もう少しゆっくり話してもらえますか。私は英語を第二言語として話していて、まだ勉強中なので……」って。

金丸:おっしゃるとおり(笑)。最初から完璧に聞いて、完璧に話そうなんて考えていたら、いつまでも会話できません。

山田:日本人って、そういうところでも真面目ですよね。「分からない」って言うのを尻込みしたり、わーって言われると引いちゃったり。

金丸:そうしてアメリカにどんどんなじんで、日本に帰りたくなくなったんですか?

山田:最初の頃は語学学校の2年間が終わったら、帰国して再就職することも考えていました。でもその後、偶然が重なって、結局18年間もいることに。

金丸:その偶然について詳しく教えてください。今のところ、ハリウッド映画のプロデューサーに全然つながらないので(笑)。

山田:そうですね。どうやってつながったかというと、最初は「ミールズ・オン・ホイールズ」という慈善団体で、1日4,000食くらいをトラックで届けてまわる活動をしていたんです。

金丸:4,000食ってすごい数ですね。あの、慈善活動はいきなり始められたんですか?それとも、何か原体験のようなものが?

山田:聖心の初等科では、毎週土曜日に奉仕活動がありました。せっかくのお休みがつぶれるから正直嫌いで。でも、ある老人ホームを訪問したときに、「誰かピアノを弾いてくれない?」とお願いされて弾いたんです。同級生たちが黙っているなか、私は当時から全然シャイではなかったので手を挙げて。正直、下手なピアノだったのに、泣いて喜んでくれる人がたくさんいて、びっくりしました。

金丸:自分にとってはなんでもないことなのに、涙を流して喜んでくれたんですね。

山田:それまでは休みをつぶして「やってあげている」という感覚がありました。でもそうじゃなくて、自分が喜びを感じつつ、人を喜ばせることだってできるんだと。

金丸:それは素晴らしい体験でしたね。

山田:アメリカで最初に住んだのは、サンディエゴでした。その後、引っ越した先のロサンゼルスで、友人からチャリティに誘われ手伝いました。その友人はFOX(アメリカのテレビネットワーク)で働いていたのですが、ちょうどその頃、イギリスの実業家、リチャード・ブランソンをメインにした番組をFOXが放送していて。

金丸:いきなり大物が登場しましたね。ヴァージン・グループの創業者。

山田:リチャードがチャリティオークションをやるというので、今度はそれを手伝い、彼に気に入られました。

金丸:どんなところが気に入られたんですか?

山田:謙遜ではなく、大したことはしてないんですよ。ただ、逆にそれが良かったのかもしれません。オークションで出品するためのアイテムを集めるとき、周りのメンバーは「私は○○とつながりがあるから、こういうものを引っ張ってこられる」と、驚くような提案をたくさんしていました。「みんなすごいな」と思っていたのですが、実際に提案したものを確実に用意できたのは、私だけだったんです。

金丸:ひょっとして、ほかの人たちはハッタリをかましていた?

山田:そうなんです。「それで良いの?」と聞いたら「これがアメリカだ」みたいな(笑)。「言ったことを実行しないのは恥ずかしい」という社会で生きてきた私には、とても新鮮でしたね。

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