「お願いって?」
首を傾げた創に、柚は少し迷いながらも言った。
「賢也の浮気相手を口説いて、落としてみてくれないかな?」
創は目をしばしばさせて、「え?」と言った。
「突拍子もないことを言ってるのは、わかる。でも創が誘ったら、きっとあの人はすぐに賢也への興味をなくすと思うの。そしたら賢也は、泣く泣くでも私のところに戻ってくるわ…」
「…それ、柚は幸せなの?」
「なんでもいいの。賢也を失いたくない」
どんな手を使ってでも、賢也との未来が欲しい。その気持ちだけが、柚の心に溢れていた。
最初に賢也に疑いを抱いたのは、4日前のこと。
その日、柚はいつものように、リモートワークを終えてキッチンに立っていた。
鶏肉にきつね色の焼き目がついたのを確認し、鍋に牛乳をそっと注ぎ込む。食欲をそそる香りを感じながら、すがるように願った。
― 今日は、早く帰ってきてくれるといいんだけど。
付き合って丸3年、同棲して丸1年の賢也は、最近とても忙しそうなのだ。2ヶ月前から、かなりの頻度でこんなLINEが来るようになった。
『ごめん、今日も遅くなる』
連絡が来るのは決まって19時前。その場合、帰りは0時を回る。そんなことが週に2、3回あるのだ。
― 賢也、お仕事頑張ってるんだなあ。
大手総合商社勤務の賢也は、責任感が強い性格だ。きっと会社でも頼りにされる存在なのだろう。
だからこそ、家では賢也を労ってあげたい。その一心で、柚は料理をはじめ家事全般に精を出してきた。
とはいえ柚も、賢也の比ではないものの多忙だ。大手化粧品メーカーのマーケティング職で、チームリーダーを務めている。
― もし1人暮らしだったら、平日のお夕食くらい適当に買って済ましてもいいんだけど…。
それでも、熱心に働く賢也に美味しいものを食べてほしいという気持ちが、疲れた柚を張り切らせるのだった。
目の前の鍋の中でコトコトと煮込まれているのは、シュクメルリだ。先週末に賢也と一緒に見たテレビ番組で、レシピが紹介されていた。
「これ美味しそうね。今度作ってあげる」。テレビの前でそう言ったら、賢也は「いいね」と笑ってくれたのだ。
― よーし、できた!いい感じ!しかも賢也の好きな味!
味見をして微笑んだそのとき、柚のスマホが鳴り、賢也からのLINEメッセージをホーム画面に表示した。
『ごめん、今日も遅くなる』
この記事へのコメント
最終的には友達とハッピーエンドが最近の東カレ小説の流行り?!だから。