「乾杯~」
西麻布の薄暗い個室、シャンパングラスが重なり合う音。男たちから発せられる、熱を帯びた空気。投げかけられる視線…。
私は、この空気がたまらなく好きだ。
もうすぐ27歳。そろそろ、こういう場から引退しなくちゃいけないのはわかっている。
でも、これがなかなかに難しい…。
金曜の夜、誰かがどこかで楽しそうな会をしているかと思うと、自分もそこに行きたくてたまらなくなる。ハイスペックでイケメンの、競争倍率が高そうな男に認められるかどうか、ジャッジされたくなる。挑戦したくなる。
私、イイ女でしょ?って。
なかなか理解されないだろうけど、私はとにかくチヤホヤされたい。世間から一流と評される男に、認められたいのだ。
それが、私の自尊心を何よりも満たす。
「真帆ちゃん、めっちゃ可愛いね。俺、すっげぇタイプ」
30歳という若さで開業医をしているという男から、熱っぽい眼差しで見つめられ、そう耳元で囁かれる。
たまらない高揚感が全身を這う。
でも、別にこの男とどうなりたいとかじゃない。
ただただ、一流から求められているという事実に、私は欲情するのだ。
「ありがと」
私はその男の耳元でそう囁いて、席を立った。変に関係を持つつもりはないから。
満足した私はお手洗いへと立ったのだが…。
そこで、衝撃的なものを目にしてしまった。
「凜香…!?」
綺麗な化粧室の一角で、メイクを直している女は間違いなく凜香だった。
「なんで、こんなところに…」
私はなぜか反射的に身を隠してしまった。別に悪いことなんてしていない。凜香は天敵だけど、現時点で彼女と何か争っているわけじゃない。別にここで顔を突き合わせても何ら問題はない。
それでも、どうしても彼女と対面することは避けたかった。
…彼女が放つ光が、あまりにも眩しかったからかもしれない。
10年近く会わない間に、非の打ち所がないほど綺麗になっている。悔しいけれど、さすがトップアイドル。
あの美しさに、今の私は敵わない…。
どうしても、私は彼女と直接対峙できなかった。
心臓の鼓動は早くなり、私はどうしていいかわからずお手洗いの前で1人佇む。そんなことをしている間に凜香は颯爽とその場を後にし、個室へと向かっていった。
私の存在には気づいていない。
相変わらず高鳴る胸を抑えながら、彼女の行く先を見守る。凜香はある個室へと入り、ギラっとした男たちがいる輪の中へと溶け込んでいった。
その中には、どこかで見たことのある顔もいる。
そして、個室の扉はまだ開いている。
「…これ、…もしかして」
認めたくはないが、ついさきほど感じた劣等感は、私を思わぬ方向へと突き動かし…。
ほとんど無意識のうちに、スマホのカメラを起動。動画撮影をはじめていた。
個室の前に立ち、スマホを構えてシャッター音を鳴らしてしまっては、明らかに怪しい。何気なく動画を撮る中で彼女が映りこめば…。
スマホをいじっているふりをしながら、まだ扉の開いている個室の前をうろうろし、凜香にフォーカスを合わせた。
◆
自宅へと帰るタクシーの中で、私は今までに感じたことのない高揚感に包まれていた。
それは、あの開業医にささやかれた言葉のおかげじゃない。
私のスマホの中には、凜香が男と密着する映像が収まっているから―。
しかも、この男は六本木に本社を構えるIT社長。彼の名前を検索すると、あまりよろしくない噂が大量にヒットする。
動画で撮影していたし、怪しまれないように歩きながらだったから、解像度は低い。
けれど、この女が凜香であるということだけははっきりとわかる。
最高にゴシップ感溢れる映像が、私の手中に収まっているのだ。
「目障りだったのよね…」
無意識に上がってしまう口角をマスクで隠し、流れゆく西麻布の街を眺めながら、帰路についた。
― 凜香。調子に乗っていられるのも、…今日までよ。
▶他にも:男と一緒に住んでいながら、御曹司との結婚をたくらむ29歳女。予想を遥かに上回る、その理由とは
▶Next:5月8日 日曜更新予定
次回:パパラッチされた凜香の逆襲が今、始まる…。
東京カレンダーが運営するレストラン予約サービス「グルカレ」でワンランク上の食体験を。
今、日本橋には話題のレストランの続々出店中。デートにおすすめのレストランはこちら!
日本橋デートにおすすめのレストラン
この記事へのコメント