“銀座のシンボル”として大人に愛されるスポットといえば…?街の象徴と呼ばれる理由

新しい世紀の始まりに、100年先を見据えて銀座を建物から変える。

そんな決意とともに「東京銀座資生堂ビル」は誕生した。

そして、時代が変化した今もなお、大人たちに愛され続ける銀座のシンボルとなった。

ハイエンドな人々をここまで魅了する理由は一体何なのか?

東京銀座資生堂ビルの歴史と変遷を振り返ってみた。



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銀座を牽引してきた老舗が誇るビルの貫禄

最上階の『バー エス』。イタリア語で「灯台」を意味する10階の『FARO(ファロ)』と共にその灯りは銀座の目印だ


銀座、という響きが今も変わらず高揚感をもたらす理由。

それは常に格式高い一流のものを肌で感じられる場所であり、また洗練された大人たちが集う街であるからだ。

近年は都内の各地で再開発が進み、少し足が遠のいているうちに街の雰囲気が一変していた、なんてこともめずらしくない。

だが、銀座だけは違う。

人々のライフスタイルがどんなに変化しようとも、時代が激しく変化しようとも、銀座は銀座であり続けている。

それはきっと、街を代表するアイコニックなシンボルの多くが、今も変わらずに存在しているからかもしれない。


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東京のビルでは当時初といわれるスタッコ(西洋漆喰)を用い、エコロジカルなイメージで建築された。個性的ながらも温かみのある表情を持ったビルは、バランスの取れた落ち着きのある空間として、銀座の街に溶けこんでいる


そのうちの一つが、東京銀座資生堂ビルだ。銀座8丁目の赤い建物といえば、誰しもピンとくるだろう。

21世紀のスタートイヤーに誕生したこのビルの建築デザインを担当したのは、リカルド・ボフィル氏。

“美しい空港”として名高いバルセロナ空港ほか、手掛けた建築物は世界中に存在するスペインを代表する建築家だ。

彼がこのビルに込めたのは、「銀座の象徴となる建物、銀座という街を変化させるビルを作ること」

さらに、資生堂の社名の発端となった「易経」の中の一節にある「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものはここから生まれる」という『万物資生』のコンセプトがこの建物全体に表現され、瞬く間に上質な大人たちが集う場所へとなっていった。

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