兄のメンツ
「陽太!久しぶり」
弟の朝陽(あさひ)を中目黒のカフェで待っていると、背後から陽気な声がした。
苦笑しながら振り返ると、朝陽がニコニコしながらやってきて、僕の向かいに座る。
朝陽とは年子ということもあり、兄弟というよりライバルのような不思議な関係だ。小さい頃から背格好も似ているせいか、なにかと比べられてきた。
「おー、朝陽。近所に住んでいるのに会わないもんだな、3ヶ月ぶり?」
朝陽は、IT企業の営業職らしく、どこか洗練された雰囲気が漂っている。幼い頃は僕のほうが女の子に人気があったのに、最近はすっかり朝陽のほうがモテる。
― おかしい。見た目は大差ないはずなのに…。
「朝陽、仕事は順調そうだな。アプリ、β版できたんだろ、見せてみろよ」
今日は、朝陽が仕事の合間に開発したゲームアプリの試作版ができたということで、呼び出されたのだ。
「そうそう。まだまだ手直しが必要だけど、プレイしてみてよ」
互いの近況報告をしながら、僕はさりげなく朝陽を観察する。朝陽が仕事も恋愛もうまくいっているのには、何か理由があるはずだ。
「ん?その透明なの、何?」
コーヒーを飲むとき、朝陽が口元から透明のマウスピースを外しケースにしまった。
「ああ、最近歯の矯正を始めてさ。前からちょっと前歯の歯並びが気になってて。いろいろ調べてたら、友達が教えてくれたんだ」
「矯正!?ってかそのマウスピース、今日会ったときからしてた?全然気がつかなかったぞ」
すると朝陽は、得意げにマウスピースによる矯正について教えてくれた。
「『Oh my teeth』っていうんだけど、このとおり着けていても目立たないし、矯正しながらホワイトニングもできるんだ。歯並びで人の印象ってめちゃくちゃ変わるんだなってことに、矯正を始めてから改めて実感したよ」
「ふうん…」
もしかして、朝陽が最近やけに自信に満ちあふれているのは、矯正の効果もあるのかもしれない。もっと詳しく聞きたかったけれど、あまり食いつくのも兄としてひっかかる。
『Oh my teeth』という名前だけを頭に刻む。あとで検索してみようと考えながら、僕は、別の話を朝陽にふったのだった。
◆
― 今さら、マナー&心理研修だなんて…。仕事の幅が広がるのはいいけどさ。
エンジニア職にもプレゼンテーションや営業のスキルが必要だということで、今日から3ヶ月、1週間に1回外部研修として全12回の営業マナー&心理講座を受講することになっている。
12回のうち半分は対面授業ということで、初回の今日は大手町の研修センターにやってきた。
― 研修っていっても、机上の空論だろ?
そんなふうにやや斜に構えていた僕だったが、まさかそこで、「2021年最大の出会い」があるとは、思ってもいなかった。