幸いなことに、私の義母は縁を切りたくなるような人ではない。
ちょうどその週末、私と義母は日本橋の百貨店にいた。お中元とお歳暮を贈る手伝いをするのが習慣になっているのだ。
義父は会社を経営していたが、売却して今は引退している。だから、その贈り先も少なくなり、大した作業ではない。
夫は、男ばかりの3人兄弟の末っ子だ。年の離れた上2人の兄の奥さんは、専業主婦。彼女たちは、法事の準備や旅行の手配など、何かと駆り出されることが多い。
それに比べると、私の役目はかなり楽だ。年に2回、ただデパートで買い物をすればいいのだから。
特にお中元のほうは、ついでに夏のセールを義母と眺めて、スカートやブラウスを買ってもらうこともあり「あなたはお嫁さんというより、孫ね」と、長兄の奥さんが呆れるのも無理はない。
「あなたくらいのほほんとしているほうが、お義母さんとは相性がいいのかも」と、次兄の奥さんに言われたこともある。
さて、今年も特設会場でお中元発送の手続きを済ませた私と義母は、いそいそと婦人服売り場に足を延ばした。
しかし結局、私達はセール除外品の秋物を1着ずつ買った。
義母は、ロロ・ピアーナでカシミヤシルクのニット。
私は、フォクシーのワンピース。少し値が張ったため、自分で払うと頑張ったが「私が買うと株主優待で1割引きよ」とささやかれて、結局義母がカードを出した。
大きな紙袋を抱えた私は、ため息をついて言った。
「セールに行くと、セール除外品が欲しくなるのはどうしてでしょうか?」
「仕方ないわよ。シーズン初めの服って、手つかずの金塊のようなものだもの」
義母が、訳知り顔で私を慰める。
確かに、店の奥で丁寧にラックにかけられている洋服は輝いて見える。前面に押し出され、いろんな人の手でいじられたセール品とは大違いだ。
買い物の後は、お茶をするのがいつものコースだ。百貨店の各階の隅に設けられた喫茶室が、私は結構好きだ。時代に取り残された感じの退屈さと優雅さがある。
2人でケーキセットを頼み、さっき買った服が手持ちの服のどれと合いそうだという話をする。
私たちは、まるで年の離れた友達のようだ。変な話だけど、独身時代に男性とデートしていた頃より、義母とお茶をしている今のほうがずっと楽しい。
「そうそう!うちの2階下の部屋が、売りに出るんですって。3LDKよ」
モンブランをフォークで切り分けながら、義母が思い出したように言った。
義父母は65歳を過ぎた頃に世田谷の家も車も処分して、今は千代田区平河町のマンションで悠々自適に暮らしている。高齢者こそ都心に住むべし、というのがこの賢い義母の持論なのだ。
「援助するから、あなたたち引っ越してきたら?いつまでも賃貸ってわけにもいかないでしょ。うちなら学区もいいし」
― うっそー!ラッキー!!
平河町の物件なんて、資金援助がなければまず無理だ。
今の有明のタワーマンションは気に入っているが、やや狭い。もう少し広くて、しかも学区がいいところに引っ越したいと思っていたところだ。
マンション内同居なら、キッチンやお風呂で気詰まりな思いをすることもない。それに、何より義母とは気が合う。
この際、前々から気になっていたことを聞いてみることにした。
「あのー…正直なところ、お義母さんは、梨花に小学校受験をさせた方がいいと考えているのかなと思っていました」
「あら、真悠さん働いているのに、お受験は大変だろうし。それに……」
義母は、さばさばとした調子で続ける。
「孫の教育方針に関しては、口を出さないことにしているのよ。どう?悪くない話でしょ」
― なんてできた人なんだろう…まさに理想の義母。
「嬉しいです!帰ったら、相談してみますね」
埼玉出身の私は、都内の学区のことがよくわからない。その場で検索してみた。
― 平河町は…麹町小!公立の名門じゃない。夢のようだわ!
そんな私を見て、義母はにっこり笑った。
ふと、薄紫色の短冊が頭をよぎる。
あの女性の義母は、きっと意地悪なのだろう。この秋に何を着るかというおしゃべりをしながら、ケーキを食べることもないに違いない。
そう考えると私って幸せだと思い、義母にそう言おうとしたとき、隣のテーブルに若い女性の2人組が座った。メニューも見ずに話し込んでいる。
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