2021.06.25
ごきげんよう時代を過ぎても Vol.1目撃
「凛々子も災難だったなあ。まあ、あんま気にしないで。先方の担当者、口は悪いけど仲良くなればいいとこもあるし」
中条大地、32歳。凛々子とたった4つしか違わないのに、この魑魅魍魎の代理店で大クライアント相手のチームをいくつも率いる、天才営業マンだ。
凛々子はこれほど頭の切れる男を見たことがなかったし、人たらしの男に会ったことがない。
CMなどの広告を作る会議では、だいたいクライアントが非現実的な注文や理想を並べ、思い通りの広告を制作しようとする。
一方で広告を制作するクリエイターは、素人が口を出すなとばかりに、より効果的で優れた広告を作ることに躍起になる。
その板挟みになり調整を続けるのが、広告代理店の営業。つまり「プロ雑用」たる所以なのだ。
凛々子はまだ、うまくそれを回すことができない。必死でやっているが故に、興奮したクライアントの人格否定のような言葉を真に受けてしまうこともある。
先週の窮地も、中条が明るい雰囲気で間に入り、メール1本で収束させてくれたのだ。
「中条さんに、また借りを作ってしまいました…。不甲斐ないです」
凛々子がため息をつくと、彼はゲラゲラと笑う。そしてスタバの紙袋からコーヒーをひとつ取り出し、手渡してきた。
「お前、堅苦しいな。後輩なんだから先輩に頼っとけ。チームなんだから貸し借りとかねーだろ」
「さーて打合せ」と、自分のコーヒーを片手に会議室へと向かう中条の背中を、ジッと見つめる。コーヒーはまだ熱く、彼が凛々子のためにテイクアウトしてきたことは明らかだった。
きっと凛々子がフォローしてもらったことを気にしていると、わかっていたのだ。
「なんでもお見通し、か」
コーヒーは温かく、そして苦かった。
凛々子は気合を入れてPCや資料をかき集めると、中条のあとを追った。まるで自分の中のもう一つの思いを振り払うように、頭をひとつ大きく振ってから。
◆
― 中条さんって、ほんと仕事人間だよなあ。
なんとか怒涛の月曜スケジュールをこなし、あっという間に夜になる。
ひと息ついた凛々子はクライアントとの会議を調整しようと、中条のスケジュールをPCで開いた。びっしりと埋まり、なかなか隙間が見つからないほどだ。
18時過ぎに私用があるときは、その時間帯をブロックする者も多い。しかし彼には、中身の見えないブロックはいつも皆無だった。
― あれ?でも今日は、めずらしく19時からオンライン会議不可になってる。
会議であれば通常「どこで、誰と」がわかるようにしてある。しかし今回だけは、プライベートマークがついていた。
そういえば少し前から姿が見えない。珍しく早い時間に帰宅したのだろう。
誰と、と思いそうになったが、そこは考えないようにして、会議が可能な他の枠を探した。
中条が好きだと自覚してから、もう丸1年。…凛々子はその距離を、先輩後輩というポジションから1ミリも詰められないでいる。
「やば、こんな時間…!」
ふと時計を見ると、19時。今夜はこのあたりに用事があるという文香と、軽くお茶でもしようと約束していたのだ。仕事は終わらないが、1時間くらいなら問題ない。
スマホと財布だけ持つと、オフィスビルを降りていく。ビルが広すぎるので待ち合わせしている地下フロアまで、5分はかかってしまうだろう。
エレベーターを降りて、地下の飲食店街を早足で歩いていたとき。
目の前を中条と、部内随一の美人後輩・有美が通り過ぎていくのを、見てしまった。
彼女は定時の17時には帰った記憶がある。普段からあざといほど可愛らしいが、今日はアイスブルーのトップスに、ゆれるゴールドの細いピアスが涼しげだった。
― もしかして、中条さんの仕事が終わるのを待ってた…?
中条のスケジュールの、プライベートブロックがよみがえる。彼は今、凛々子が見たこともないような優しい笑顔で有美を見ていた。
二人に気づかれないよう、反射的に通路を反対側に進んだ。無表情のまま、文香の待つカフェに飛び込む。
「凛々子~!ごきげんよう、すっごい久しぶり!相変わらずキレイにしてるね…って!どうした、どうした!?」
懐かしい幼なじみの変わらない笑顔を見たとき、凛々子は思わず気が抜けて、へなへなと席についた。
そしてこれまで誰にも言えなかった一言が口をつく。
「文香…。ダメだ、私。あんな学校出て、プライドばっかり高くなって。仕事も中途半端、おまけに28歳なのに誰とも付き合ったことがないなんて。…女としても終わってるよね」
▶他にも:「最高でも医者妻、最低でも医者妻」夢を叶えた25歳女が、結婚式直前に知った戦慄の真実
▶NEXT:7月2日 金曜更新予定
焦る凛々子に、さらなる試練が襲い掛かる…。一方、中条の意外な行動とは?
マジかーとか半端ないとかあまり品性を感じられない…
今どきはお嬢様でも大人になったらこういう言葉遣いするのかな?
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