「大好きな人と、結婚したい」。おそらく多くの人がそう願っているが、結婚とは現実である。
どんなに愛する相手でも、結婚生活に求めるものや価値観が、食い違っていたなら…?
外資系コンサルティング会社に勤める斎藤拓哉(36)は、社内のマドンナ・涼子(28)へのプロポーズが成功し、天にも昇る心地だった。
しかし涼子から、ある“結婚の条件”を突きつけられる。大好きな彼女のために、拓哉はその願いを叶えようとするが…
「僕と、結婚してください」
拓哉は深呼吸してから、涼子の目をしっかり見つめてそう言った。
1ヶ月前に予約したレストランで、108本の赤い薔薇を渡し、さらに冬のボーナスを全額投入したダイヤのエンゲージリングを差し出す。
恐る恐る涼子の方を見ると、両手で口元を覆っている。嬉しいのか、驚いているだけなのか、まだ正確には読み取れない。
拓哉には、このわずか数秒がとてつもなく長く感じた。
「拓哉くん...ありがとう。こんな私でよければ、よろしくお願いします」
「本当?あぁ、良かった!!」
拓哉の声が大きかったのか、近くのテーブルにいた客やスタッフから、一斉に拍手が沸きおこる。
「やだもう。恥ずかしいじゃん」
涼子は、困惑しながらも嬉しそうだ。その顔があまりに愛おしくて、拓哉は今すぐにでも抱きしめたくなった。
拓哉と涼子は、丸の内にある外資系コンサルティング会社の先輩・後輩の関係だ。
1年前に拓哉の部署に異動してきた涼子は、元気で活発だが、どこか男心をくすぐる小悪魔っぽさがあり、すぐに皆の人気者になった。
そんな彼女を狙う社内外のライバルたちを蹴散らし、ようやく交際にこぎつけた時は相当嬉しかった。
そしてたった今、王道とも言えるシチュエーションではあるが、拓哉なりの精一杯のプロポーズが成功したのだ。
薬指が上品に光を放つ涼子の左手を、テーブルの上で優しく握り、夢じゃないことを確かめる。まさに天にも昇る心地だった。
しかし、涼子の"ある要望"が、浮かれ気分の拓哉を一瞬で現実に引き戻す。
「あのね。拓哉くん、ひとつお願いがあるの...」
指輪と花束をスマホでひとしきり撮り終えた涼子は、潤んだ目でせがんだ。
「私、結婚してからも田園都市線沿いに住みたいの。できれば、青葉台かあざみ野、たまプラーザあたりで。実家も近いし、昔から住み慣れてるから離れたくなくて...」
「えっ…」
「それに、職場のある都心からは離れたところで、落ち着いて暮らしたいの。…ダメかな?」
愛くるしい涼子の顔を直視できず、拓哉は目をそらした。