昭和モダンを感じる、銀座の名店 Vol.1

レンガテイ

煉瓦亭

移りゆく街にあって変わらないという美学を貫く希有な老舗─『煉瓦亭』

46年前からあるカウンターに立つ木田明利氏。この日は先代から付き合いのある業者がこのカウンターの修理に訪れていた

「永井荷風先生は慶應の教授をしていらして銀座にもよく来ていた。ウチにもよくお見えになったそうです。戦前の銀座は学生なら慶大生ばかりが遊びに来る街だったんです。バンカラ学生は少なかった」

明治28年の創業で、洋食屋の草分けとして全国にその名を知られる『煉瓦亭』。カツレツを生み、付け合わせにキャベツの千切りを添えたのもこの店の発案。ほかにも、ハヤシライスやオムライスなど、今では誰もが親しむようになったメニューの起源には必ず『煉瓦亭』の名が挙がる。木田明利氏はそんな老舗の4代目。コンスタントに店に出るようになってから数えてもすでに半世紀以上の時が流れた。

「学校を卒業してすぐですから昭和32年ですね。当時はこれから東京オリンピックだという好景気が始まったときで、昭和39年にピークを迎えるまでどんどん景気が良くなっていった時代でした」

銀座という街の移り変わりを見つめ続けてきた木田氏。長い歴史の中でも昨今の不景気は今までに経験したことのないものだという。

元祖オムライス¥1,300。ご飯と卵が一体化しているのが特徴。賄いの食事からメニューに転じた

「戦後を通して今が一番悪いんじゃないですか。こんなに長い不況はない。今までは悪くても1、2年で戻ってきたんですけど、4年以上でしょ?街も随分と変わりました。まず大きな会社が移転してしまった。それから、海外企業の進出。ここ3年ぐらいが変化も一番激しかったと思います」

客層の変化も顕著で、昨今はやはり外国人が増えたという。周囲と客が劇的に変化していく中、『煉瓦亭』と同じように暖簾を守る店も点在している。新旧の同居。それが銀座の“今”を形作っている。

「すぐ近くだと『ハゲ天』さん、終戦直後の開店ですが『らん月』さん、それからあんみつの『若松』さん、トンカツなら『梅林』さん、寿司ですと『奈可田』さんや『久兵衛』さん。跡継ぎがいらっしゃるところはどこも頑張っていますよね」

ポークカツレツ¥1,300。天ぷらの技を応用し、たっぷりの油で揚げることを考案した逸品。文句なく旨い

木田氏自身には今の銀座はどんな街として映っているのだろう。

「都内で少しでも昔の“形”が残っているところだと思うんです。特殊なところでは浅草もありますが、後はどこも大体同じような街になっちゃいました。オーナーが自分でちゃんと商売をしている店も銀座が一番多いんじゃないでしょうか。ほかの街に行くと、ビルのオーナーはどんどん他人に貸しちゃうんですよね。中に入る業者もどんどん変わっていっちゃう。お金儲けが第一で、商売に対する愛着がない。銀座でも最近は古いお店が結構、辞めちゃっていますけど、それはやっぱり寂しいです。後継者が嫌になっちゃうんですね、親の苦労も見てますし。相続税や固定資産税の問題もある。飲食店だけじゃなく、これは一種の文化なわけですから国にはもう少し何とかしてほしい(笑)。正直な話、銀座に建物を持っているなら商売するよりも貸す方がいいんですから。だから今、頑張っているところは皆、すごいと思います。やらなきゃいけないという使命感だけで頑張っている部分もある。ウチの場合も何とかやっています。もう1代は大丈夫かと思います。その下はまだ幼稚園ですけど(笑)」

そして支える業者の存在もある。

「このカウンターを作ってくれたのは先代からお付き合いのある家具屋さん。お米屋さんも歌舞伎座の裏で80年ぐらいやっているところ。こういう皆さんがいらっしゃらないとやっていけないと思います。ひとつの商売はそれだけで成り立ってるわけじゃないですから」


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