しかし、それはそうとなぜそんな夢を抱くようになったのだろう。すると、広末さんはこちらの思惑を察したのか、こんな話をしてくれた。
「私、お鮨屋さんってすごいと思うんです。カウンターという舞台で技術を披露し、仕事に集中しながらも会話したり、お客さんの息遣いに注意を払ったりするのには鍛錬が必要じゃないですか。それって役者にも通じる気がする」
そう語る広末さんはさっぱりとした顔をしていた。
来年でデビューして25年になるが、その発言は、10代からトップを走り、女優として着実にキャリアを重ねてきたからこそのものに感じられて、それをストレートに伝えると、今度は少し考えるような素振りを見せて、こんなふうに告白してくれた。
「目の前のことにとにかく必死でしたね、若い頃は。仕事にばかり自分の存在意義や価値を見出して、とかく仕事に振り回されていました。
上手くできなければ落ち込み、ひどいときは深みにはまってしまう。でも、人生は長いのだから、そんなことでは乗り切っていかれない。私は女優である以前に単なるひとりの女性。
もっと日々の暮らしを大切にしたい。生活のリズムを感じたい。それができてこそ、いったん現場に入ったら与えられた役割に全神経を傾けられる。いつしかそう思うようになりました」
素直に納得した。広末さんの話は何も特別な世界にかぎったものではない。「女優」という単語をたとえば「会社員」に置き換えても成立するからだ。
彼女自身が明言したわけではないが、「小料理屋をやりたい」という夢を語れるのも、家庭を持ち、家族や友人のために時間を使うことを心地よく感じているからではないか。
言い換えれば、「日常」を受け入れて、楽しんでいるのだろう。最後に広末さんは言った。
「頑張りすぎないこと、手を抜くこと、甘えることの大切さも、大人になってから覚えました。そうすることで人と人は繋がっていけるし、素直に頼ることで相手が喜んでくれる場合もあります」
頑張りすぎない。彼女が発したそのワードは世田谷が醸し出すやわらかな空気によくなじむ。だから、この街に地に足のついた大人が集うのだと合点がいったのだった。