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  • “結婚願望のない元彼”が忘れられない29歳女。3ヶ月ぶりに連絡を取ろうとしたときに起きた嬉しい誤算



    彼と別れて1ヶ月が経っても、私は以前の生活から抜けだせられずにいた。

    彼と付き合っていた頃と同じ時間に起き、彼の好きだった音楽を聴きながら味気のないシリアルを食べた。

    本当は別れたことを女友だちに言って、朝まで飲んだりしたらスッキリしたのかもしれないが、私はそれをしなかった。第三者に言ったら、それを現実のこととして受け入れなければいけなくなる。

    永原淳平からは、時たま連絡があった。

    それは大抵、「元気にしてる?」とか、とりとめもない内容だ。私は5分に1度そのメッセージを読み返しながらも返さないように努力して、半日既読スルーしても、それでもやっぱり最後は「元気だよ。淳平は?」と律義に返してしまった。

    そんな状態が続いていた、ある日の通勤途中。

    私はいつもと同じように、スマートフォンで音楽を聴きながら会社へ向かっていた。恵比寿に住んでいる私は、オフィスのある渋谷まで歩いて行くことが多い。

    聴いていたのは永原淳平が好きだったUKロック。もう何百回も聴いているからメロディーもしみついていて、私はそれをふんふんと、口ずさんでいたようだった。

    「…折原さん、折原さん」


    信号待ちをしている間、そう話しかけてきたのは、同じ会社の3つ下の営業マン・松坂太一だった。

    突然のことに驚いて、私は彼の顔をまじまじと見た。

    背はひょろりと高いけれど童顔で、まだ少年のような印象の男の子。そう言えば最近引っ越して、たまに歩いて会社に来ると言っていたことを思い出した。

    「なに……?」

    松坂太一は、抜群に仕事ができることで有名だ。

    営業成績は常にトップで、上半期はたしか全社の業績表彰式でMVPをもらっていた。でも生意気な口をきくタイプで、年下だからと言ってそれを可愛いと思えない私は、彼のことが少し苦手だった。

    「なに聞いてるんですか?」
    「……何でも、いいでしょ」

    つっけんどうに言ったにも関わらず、松坂太一は私が操作していたスマートフォンの画面をぐいっと覗きこんで言った。

    「へーっ。折原さんって、こういうの聞くんだ。意外。俺もUKロックは好きなんですよ」

    松坂太一は何やら熱心に話し始めたが、私は彼の話している内容がよく分からず、話半分で相槌を打つ。

    「でもこれ、本当に折原さんの趣味なんですか?」
    「……」

    松坂太一は邪推している風ではなく、純粋に思ったことを口にしただけのようで、私は返答に困った。

    本当は全然趣味じゃない。

    全然趣味じゃないけど、これが彼とつながっている唯一の手段だから。もしそう答えたら、松坂太一はドン引きするだろうか。

    「…めちゃいいバンドですけど、朝に聞く感じじゃないですね!」

    困惑している私に気づかないフリをしてくれたのか、松坂太一は少年のような笑顔でそう答えた。

    「ねぇ、折原さん。これも聴いてみてくださいよ」

    松坂太一は、そう言って、自分のスマートフォンを差し出してきた。その画面には「元気Booster」と表示されていて、耳からはチャーチズの「Graffiti」という曲が流れてきた。

    小気味いいリズムが、心地よく響く。
    嫌いじゃない、と思った。

    それは1ヶ月ぶりに、永原淳平以外のものが私の中に流れ込んできた瞬間だった。

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