私は今、人生を楽しむ努力をしていると言えるのだろうか。何かが胸に突き刺さり…気が付いたら言葉を返していた。
「あの…水波さんが飲まれているのは、なんていうお酒なんですか?」
「これは、辛丹波ってやつ。熱燗で飲んるけど、次は冷酒、かな。」
「・・・じゃあ、飲んでみたいです。」
私がそう言うと、彼が嬉しそうに笑って店員を呼んだ。見たことのない笑顔に不覚にもドキッとしてしまう。
店員がおちょこがたくさん入った容器を持ってきてくれた。一つ選んでくださいと言われ、濃いブルーの美しい切子のおちょこを選んだ。
「意外に大人っぽいグラス、選ぶんだな」
水波さんはそう言った後、お酒を注いでくれた。
とく、とく、とく。
さっきと同じ音がして、それをまるで心臓の鼓動のようだと思いながら、私はおちょこを口元に運び、香りを嗅いだ後、口に含んだ。
「おいしい!」
適度に冷えたお酒の爽やかなのど越しと、甘味をほのかに感じる後味に、素直にそう思った。
◆
「加々美って、結構飲めるんだな。」
そうですか?ときょとんとした私に、水波さんは笑って続けた。
「いや、だって、もう3合目だから。」
―この辛丹波ってお酒は、いろんな温度で楽しめるんだよ。
私は最初に勧められて飲んだ冷酒、そして次は、熱燗、そして今は、常温、と、水波さんに導かれるまま、温度を変えた日本酒を楽しんでいた。
同じお酒が、温度でこんなに変わるということに、感動すら覚えている自分に驚く。
―今日まで全く知らなかったのに。
私のおちょこがカラになったのに気が付いた彼が、また注いでくれた。そっと指が触れあい、またドキッとしてしまう。
―こんなに近くで、水波さんの顔を見るのって初めてだな。
今日知ったのは、日本酒の知識だけではない。怖い人だと思っていた水波さんが、案外柔らかく笑うこと、鼻筋の通ったきれいな横顔をしていること。そして何より…。
「加々美はさ、もうちょっと自分が失敗することを許せばいいんだよ。一回ホームランを打ててるんだから、絶対に編集者としての才能はある。生涯一度もホームランを打てない編集者だっているんだぞ。」
―私のこと、本当に心配してくれていたんだな。
「お前は、なんだかんだ自分に厳しすぎる。自信とか、自分らしいものとか、じっくり探せばいい。俺はお前ならできると信じてるから怒ってきた。可能性がない、と思うやつには言わないよ。」
「ご…ごめんな、さい…。泣く、つもり、じゃ…。」
嗚咽混じりに謝る私の頭を、優しい手がなぜてくれた。大きな手。ポン、ポン、となぜられるたびに、なおさら泣けてきてしまう。
「あ、ヤバい。今の時代、こういうのもセクハラ、って言われちゃうのかな。」
おどけて言いながら手を引っ込めた彼に、思わず笑ってしまう。
そのおかげで少し落ち着くと、私は顔を上げて言った。
「私、自信を持てるように、頑張ります。焦らず自分らしい企画書を書きます。」
その言葉に、彼が照れたように、おう、と笑い続けた。
◆
「で、今夜の辛丹波、加々美はどの温度が一番好きだった?」
好きだった?、という過去形の表現に、この時間が終わってしまう気配を感じ、寂しくなっている自分に気が付く。
―もう少し、水波さんと一緒にいたいんだ、私。
その気持ちを込めて、私は、苦手だったはずの彼の目をまっすぐに見つめながら言葉を選んだ。
「私は熱燗が一番好きでした。同じお酒でも、こんなに温度で味わいが変わるなんて知らなくて…感動してます。だからもう少しだけ…。」
「最後にもう一合だけ。お前の一番好きな熱燗で飲んでから帰ろうか。」
彼は、私の言葉の終わりを待たずに、グッと顔を寄せながらそう言った。耳元で囁かれた声と、触れ合う肩に、私の体温も上がってしまう。
私が、うつむきながら頷くと、彼は優しく微笑んでくれた。
―Fin.
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