「今日はとことん飲んでやる!」
半ばヤケになり宣言した私のペースに利恵が合わせてくれて、苦手な上司の水波さんとも干渉し合うことなく、1時間程経っただろうか。
「お手洗いに行ってくる。」
利恵が席を立った後1人になった私は、携帯を見るふりをしながら、ちらりと彼を盗み見てみる。
―何、飲んでるんだろ。
水波さんの前には、薄いブルーの模様が印象的な徳利と、お揃いの模様のおちょこ。どうやら日本酒らしい。
―指、きれいなんだな。
大きな手。清潔に切りそろえられた爪の長い指が、徳利を掴み傾ける。
とく、とく、とく、という音とともに、透明の液体がおちょこに流れ落ちていく。その様子が店の照明に照らされ輝いて見えた。
―きれい。
少しぼんやりとした頭で、数時間前、水波さんとの会社でのやり取りを思い出した。
「加々美はいつまで、誰かのマネ、流行ったもののマネの企画書を出すんだよ。」
提出した企画書のことで、彼のデスクに呼び出され、淡々とした口調で問い詰められた。
「すみません…」
そういった私に、彼はため息をついた。
彼にあきれられたのは、もう何度目だろう。思わず涙が出そうになるが、仕事場で泣くなんてことは絶対にしたくない。
私はぐっと自分の唇を噛み、ただうつむいた。
今年で、入社9年目。入社3年目の時に作った漫画原作の企画がホームランを飛ばしアニメ化され、期待の新人と言われていた。けれど、それ以来1度もヒット作がない。
30歳の誕生日も去年過ぎた。節目の年だからと気合いを入れたつもりだったのに、結局何も変わらなかった。そして失敗が続くと自信はどんどんなくなっていく。
自分に自信が無いから、企画を求められても、『すでに流行っているもの』『誰かが大当たりした企画』などをまねて作るようになってしまった。
「加々美はいつになったら、自信が持てるんだろうな。」
水波さんが言葉を畳み掛けてくる。
「自信は、経験に裏打ちされた知識量で作るもんだ。お前は学ぶ努力が足りないんだよ。」
ぐうの音も出ない。いつも正論ばかりを突き付けてくる水波さんのことが私はとても苦手だ。
◆
「さや、どうしたの?ぼーっとして。」
トイレから戻ってきた利恵の声に我に返る。なんでもない、と言ったけれど、利恵はじっと私の顔を見ていった。
「あのさ。メガネのイケメンさん、さっきからチラチラさやのこと気にしてるよ。何があったかわからないけど、お酒の力でも借りて2人で話してみれば?」
利恵の突拍子もない提案に、私が、何言いだすの、と返したのに、彼女は立ち上がり、帰り支度を始めると水波さんに話しかけた。
「私、さやの友人なんですけど、先に出なきゃいけなくなっちゃって。さやはもう少し飲みたいみたいなんで、この後、さやに付き合っていただけませんか?」
そう言うと、「ここまでの支払いもう終わってるから!」と言い残してバタバタと立ち去ってしまった。
あっけにとられた私たち2人は茫然と見つめあう。気まずくなって私が目をそらした後、先に沈黙を破ったのは水波さんだった。
「お前、日本酒好きか?」
はい?と聞き返した私の返事を待たず、水波さんは店員に席を移動する事を伝えると、利恵が座っていた席、つまり私の隣に並んで座ったのだ。
「あの…その、私日本酒はあまり、飲んだことがなくて…。」
断るような言い方をした私に、水波さんが意地悪な笑顔で答えた。
「知識を増やすチャンスだぞ。」
―自信は、経験に裏打ちされた知識量で作るもんだ。
昼間の彼の言葉が、リフレインする。そして、彼はダメ押しのように言った。
「それは仕事だけじゃない。知識は人生を楽しくしてくれる。」