失って初めて気がつくものがある
6歳年上の夫、康介とはよくある食事会で知り合った。
志穂とは職場が同じ汐留だったため、初めは気軽なランチ仲間として会っていた。
それからは、自然と仕事帰りの夕飯の約束も増え、「志穂ちゃん」が「志穂」になり、平日だけ会う関係から休みの日も行動を共にするようになった。
康介は、仕事帰りのさりげないディナーと見せかけて、ザ・リッツ・カールトン東京の『タワーズ』でプロポーズをしてくれた。
プロポーズを受け入れた時は26歳で、もっと他の男たちを見た方が良いという友人たちもいたが、そんなことは無駄としか思えない。
何より、志穂は康介が大好きだった。
好きな人と、結婚する。そして結婚したら、子供を産むことを考えて、仕事を辞める。
それは、志穂にとっては普通のことだった。
そんな康介との間に授かったひなは、康介に似て大きな垂れ目が愛らしい。
ひなの笑顔を見ていると、失った華やかな日々のことはどうでも良くなるから不思議だった。
キッチンでひなの朝食の支度を終えた志穂は、自分も適当にパンを口に入れる。
出産以来、席についてゆっくりご飯を食べることは殆どなくなった。
いつどうなるか分からない子供の機嫌に合わせて動くというのが「専業主婦」、そして「母」である今の志穂の仕事なのだ。
ひなは可愛いが、意思の疎通がまだ完璧に取れない娘を相手に1日を無事に乗り切るだけで、どっと疲労を感じる。
これなら仕事をしていた方が何倍も楽であった、と志穂は思う。
にも関わらず、だ。
こうして自分の好きなことを好きな時にすることも叶わず、幼い娘の世話をこなし家族に尽くす自分は、お給料を貰えるわけではないのだ。
確かに生活費の苦労はしなくても良いかもしれない。
だが、家計の管理を任されているわけではない志穂は、康介から渡される月々のお金で食費やら生活費を工面しなくてはならない上、美容院に行ったり自分の洋服を買いたければ、予算と相談だ。
大きな買い物も、いちいち夫の了解を得なくてはならない。
子供が産まれたばかりの時は、とにかく育児に夢中で1年はあっという間に過ぎていった。
だが、ひなが1歳半を過ぎ、まとまった睡眠が取れるようになり、比較的クリアな頭で考えるとどうも納得のいかないことも多い。
仕事が忙しい康介は、育児の大変さを訴えてもまともに取り合ってくれなかった。
仕事が大変なのはわかっている、でも自分だって大変なのに…と納得のいかない気持ちを抱えていると、些細なことでも大喧嘩になってしまう。
ハッキリ言って、夫婦仲は順調とは言えない。
「私、間違ってたのかも。」
子供を産んだことは、1ミリだって後悔していない。ひながいない生活、人生なんて全く想像できないからだ。
独身時代に戻りたいわけではなく、自分が自分の人生をコントロール出来ていないと感じられる、今の状態が不満なのだ。
ひなが起きる前にコーヒーでも飲もうと沸かしたお湯が湧いた途端、寝室から「ママ〜!」という叫び声が聞こえた。
志穂はその日2度目の大きなため息をついて、重い足取りで寝室へと向かった。
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ついに勃発した康介との大喧嘩。離婚の危機が訪れる?!
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この記事へのコメント
勿論そういう人もいますが、そうじゃない人もたくさんいると思います。
ただ、日本ではそうじゃない人はなかなか表に見えにくいと思いますが。
人それぞれの価値観があって、私はいいと思います。
子育て終わった人間でもそんなことは考えない。
主婦は、見えない労働ばかりですよ。
やはり甘えてるよ。
この志保は
私の会社には、シングルで、休む暇なく働いている人いますよ。
食べるために労働基準の時間超えて働いている人いますから。
羨ましいです。