「まさか、香が目黒に引っ越すとはねぇ」
目黒の『ぴんちょ』でピンチョスをつまみながら、ミカは言う。
様々なピンチョススタイルの料理が楽しめるこの店は、1階はふらりと立ち寄れるバースペース、2階はゆっくり食事を楽しめるダイニングに分かれており、香はその日の予定に合わせて足繁く通っている。
「目黒、とてもいいわよ。美味しいお店もたくさんあって、交通の便もいいし」
「さすが香、切り替えが早いわねぇ」
「そうね。でも遊びに行くこともぐんと減ったから、落ち着きたくなっちゃった」
港区に住んでいた頃に比べて、夜遊びはぐんと減った。夜遊びは減り、その分家でゆっくりと過ごす時間が増えて、料理もするようになった。
「新しい恋は、どうなの?」
「…うーん。そうねぇ。まだそんな気には、なれなくて」
「まぁ、そうよね」
そう言ってミカは2つめのピンチョスに手を伸ばしながら、こう続けた。
「そう言えば、私の後輩の里奈っていたじゃない?」
ミカの口から出た“里奈”という名前に、香は思わずドキッとした。里奈が将生と六本木で歩いている姿を見て以来、将生への想いは封印していた。
「なんと、健人さんと付き合うことになったらしいわ」
「…え!?」
健人とはホームパーティーを開催してくれた、将生の友人だ。驚いた香は、思わず聞いた。
「私、里奈ちゃんと将生君が歩いているところ、六本木で見たことがあるのよ。てっきり2人は付き合っているのかと思ってたのに…」
「そうなの?そう言えば、“最初は他の人も交えて会った”、って言ってたわ。あの子、なかなか戦略的なのよ」
「なんだ……」
香が思わずうなだれると、ミカは不思議そうに香を見つめた。
「そう言えば、将生君って香のこと気に入ってたわよね。でも香に彼氏がいるって知って、諦めたみたい」
「もう、それを早く言ってよ…」
香が手で顔を覆いかぶせると、ミカは「え?もしかして香も気になってたの?」と慌てていた。
◆
「よし。これでいいかしら…」
香は全身鏡の前でにっこり微笑み、インカメラで写真を撮っていた。
これまで香のトレードマークだった赤のリップとハイヒールは封印し、最近は青などの寒色系を取り入れたコーディネートにハマっている。最近更新していなかったInstagramだが、再びコーディネート写真を載せるようになると、またたく間に「いいね!」がつくようになった。
今日は初めて、将生の家に行く予定だ。
将生と里奈に何もなかったと知り、悩んだ末、香は思い切って将生に連絡した。その後何回か食事に行き、今日は最近将生がハマっているという、家飲みに誘われたのだ。
今まで夜の港区でしか遊ばなかった香は、この家飲みがとても楽しみだった。
足取りも軽やかに、将生の家に向かった。