子供がいるからって、結婚してるとは限らない
トムは、小雪と結婚したい気持ちがあったからこそこうして夫婦になった。しかし、結婚したくないなら、しなければいい。どんな形であっても、パートナーとして時間を共有することが何より幸せだ、という考えは変わらない。
小雪はそんなトムの横顔を見つめながら、付き合い始めの頃のデートを思い出していた。
ある夏の日にお台場で、イベント会場の前を通りかかった。そこでは「ドラゴンボール」のイベントが開催されており、ポスターやグッズが並んでいた。
「わあ、懐かしい!ねえねえ、チチって誰の奥さんだっけ?悟空の奥さん?」
小雪が、見憶えのあるキャラクター「チチ」を指差してトムに尋ねた時だ。トムの口から出たのは、予想外の言葉だった。
「チチは、孫悟飯のお母さんだよ。悟空の妻かどうかはわからない。パートナーなのは間違いないけどね」
その言葉の意味を理解するのに、小雪は数秒を要した。彼が言ったのはつまり、子供がいるからといって結婚しているとは限らない、ということだ。まさに、フランスらしい発想である。
—あのドラゴンボール事件の時は、トムに結婚願望はないかもしれないって覚悟決めたっけなあ…。
小雪はくすりと思い出し笑いをした。
「あの、小雪さん、トム君」
名前を呼ばれて、ハッと我にかえる。
「それ、素敵な話だとは思いますけど、ここはフランスじゃなくて東京なんです…」
樹里は弱々しい声で呟いた。
東京は独身女性にとって非常に生きづらい。かといって、東京以外はどうかというと、地方もまた同じ。
結婚式で地元に帰ると、静岡の友人は樹里以外の全員がほぼ既婚者だ。皆から口々に「次は樹里だね」と肩を叩かれて、居心地の悪い思いをしたこともある。
実家でも当然、ひしひしと感じる親からの期待。最近では帰省すら億劫になっていた。
結局樹里が、結婚願望がないと言いながらも、きっぱり割り切れないでいる一番の要因は、周囲の視線。
「いい歳して結婚してない女って、なんだか周りから欠陥人間だと思われそうで不安なんです。うちの会社にいるお局みたいな扱いをされるのだけは絶対いや」
吐き捨てる様に言った樹里の言葉に、トムが眉をわずかに動かしきっぱりと言った。
「樹里さん。結局あなたも、その辺の婚活女子と同じですね。結婚しない女は幸せじゃないっていう考えに毒されている。
自分の幸せは自分で決めましょう。樹里さんの幸せを決めるのは、周りの人たちではないし、もちろん僕らでもないですよ」
樹理は、反発しているのか納得したのか、どちらともとれない表情でトムの顔を見ていた。
トムは樹理の視線なんか気にせず、ため息をつく。
―なぜ東京の女たちはこうなのか。結婚は幸せの象徴であると信じ込み、婚活や結婚にしがみつくその姿は、非常に滑稽だ。
「まあ今は深いこと考えず、誕生日に実際プロポーズされてから、悩むことにしたらどうですか?」
樹里に皮肉を言いながら、トムは自分の幸せに感謝した。最愛の人と結婚するというごく自然なことが、東京ではどれほど難しいことなんだろう。
隣に座る小雪を想いながら、穏やかに微笑むのだった。
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