2016.12.10
『ラスカサス』に住んでいた頃、広告代理店でアートディレクターをしていた恵介は、今は独立して中目黒に自分のオフィスを構えているという。
香織は、新卒の時から勤めている外資系の監査法人勤務でマネージャーに昇格したそうだ。あの時から相変わらず仕事に打ち込み、今は豊洲のマンションで1人暮らしをしているという。
皆それぞれのタイミングでシェアハウスを離れていき、それぞれの道をまた歩み始めていた。
テーブルの上を見れば、『REALBBQ PARK』のオリジナルメニューには、サーロインステーキやジャークチキン、チーズフォンデュやムール貝のトマトスープなど、盛り沢山。
圭太と香織は、食材が入ったパウチの封を切って着々とグリルの準備を始めていた。
「週末、リビングで皆と過ごしていたのが懐かしいな。俺たちがいた時のメンバーはまだ誰か住んでるのかな?」
「ううん、もう殆ど残っていないみたい。私が最後まで『ラスカサス』に残ってたけど、皆が出て行った後はシェアハウスの雰囲気も変わっちゃって、居づらくなっちゃったんだよね」と、香織。
圭太は、テーブルの横に置いてあったWeberQ(ウェーバーQ)のグリルをさっと着火させ、その上でステーキグリルやポークを手際よく乗せて蓋を閉めると、10分もしないうちに肉汁が滴るサーロインステーキが焼きあがった。
短時間で続々と焼きあがっていくグリルのおかげでお腹を減らすこともなく、5人はたわいもない話に花を咲かせていた。
すると、海外勤務が決まった圭太の壮行会に話題が移った。住人が連れて来て知り合った友人たちも一同に会し、30人ほどになった会だった。その時、恵介が何の気なしにふと漏らした言葉に、一瞬だけその場の空気が変わった。
「あの日は酔っぱらいすぎてて、香織が急に泣きだしたこと以外はほぼ覚えてないんだよな~……」
遅れてリビングルームに入ってきた香織の表情はいつもと変わらなかったが、泣き腫らしたような目をしていたことに、誰も何も知らないふりをしていたのだ。
亜紀は若干気まずそうにグリルの蓋を開け、WeberQの上にヒノキの板を乗せると、その上にこの日の為にと持ってきた「Mowi Salmon (モウイサーモン)」を置いて蓋をした。
シェアハウスでは、何かがあっても何もなかったかのようにしておくのが、あの”狭くて広い”コミュニティの中でうまくやっていく処世術でもあった。
香織は特に気にした様子もなかったが、その場を取り繕うかのように恵介の言葉に返事をした。
その時、生サーモンの下に敷いたヒノキの香りがWeberQから漏れ出て、テーブルの辺り一面にやわらかく優しいアロマが香り始めていた。
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