野心のゆくえ:35歳で2度目の起業を成功。望むものを手に入れても、さらに上を目指す理由とは?
帰国直前、翼は構想中だったケータリングサービスのことを保奈美に話した。すると彼女からは、翼が思いつかなかったようなアイディアが出てきて、実際のサービスに反映させたことも多い。柔軟な発想を持ち、変わらずに凛々しい彼女の姿に翼は見入るばかりだった。
保奈美は帰国後、外資のコンサルティング会社に入り、その手腕を発揮している。
気付けば彼女とはプライベートでも食事に行くことが増えていた。何の話をしていても結局はビジネスの話になることが多いが、翼の事を敵対視していた昔の彼女の姿はなく、ビジネスでもプライベートでも、互いに特別な存在となっていた。
「乾杯」
そう言って少し上目づかいで見てくる彼女の瞳や、マティーニで潤った彼女の唇にドキリとさせられる事がある。知り合った当初はぴくりとも笑わなかった彼女が、いつしか優しい眼差しを向けるようになった。翼は彼女の新たな一面を知り、嬉しい反面戸惑ってもいた。
「あの頃はオレのこと嫌ってたよな?」
思い切って一度、ピノ・ノワールを飲みながら聞いたことがある。
「印象悪かったでしょ、私の。でも、翼のことが嫌いだったわけじゃないのよ。」
一口ワインを流し込み、口角をキュッと上げてまた微笑む。
「ただねとにかく必死だったのよ、あの頃は。だって男の人って、ちょっと優しくするとすぐ勘違いするじゃない?そういうのが嫌で、翼だけじゃなく、みんなに刺々しくあたってた。私は勉強のことだけを考えたかったの。ただ、同じ歳のあなたに負けたくないっていう気持ちは、確かにあったかも。」
人に媚びず自分の信じる道を歩む、その凛とした保奈美の生き方を、翼は尊敬している。そして決めたのだ。人生のパートナーは彼女しかいないと。その思いは彼女も同じだったようで、やがて彼女と正式に付き合う事になった。
保奈美は「翼は若い時に大きな失敗をしてるから信用できる」と、本気とも冗談ともとれる笑顔で言っていた。
◆
帰国して1年が過ぎた頃、翼の元に新たなビジネスのオファーが舞い込んだ。アメリカで高級レストランを展開する会社が、日本初進出を計画しており、翼の会社との業務提携の打診がきたのだ。
これは翼にとっても大きなチャンスであり、もちろん受けたいと思っていた。だが向こうは、強気の条件を出してくる。
交渉慣れした相手とのやり取りはハードだった。
だが翼も負けずに、MBAで叩きこまれた議論のテクニックと知識を発揮し、この難局を乗り切ると多額の出資を受けられることで話はまとまった。
事業をある程度軌道に乗せると、人脈づくりと運動不足解消も兼ねてゴルフを始めた。
まずはダイナースクラブカードの特典でプライベートレッスンを受け、要領を掴むと早速、名門ゴルフ場優待予約サービスを利用してラウンドを楽しみ、「練習よりも実践!」をモットーに名門コース攻略に果敢に挑んだ。
翼は、見渡す限り広がるグリーンの中を遠く彼方まで飛ぶゴルフボールに、自分の飛躍を重ねて見ずにはいられなかった。
普通はメンバーじゃないと絶対にプレイできないようなゴルフ場でラウンドできる喜び。オンラインゴルフ予約とはレベルの違うサービス。クラブハウスのメンバーハンディキャップ表に財界の有名人を見つけた時は、「いつかは俺も、ここに名前を……」と夢を膨らませるのだった。
だがそんな風に、自分に酔いそうになると「調子に乗ったら転落の始まりよ」と保奈美が厳しい一言をくれるのだ。翼が「この人を選んで良かった」と思う瞬間だ。
さらにコンペではダイナースクラブのクラウドファンディングの事を耳にして、グルメ好きの翼は早速いくつかのプロジェクトに申し込んだ。「日本の食文化を応援します」というスローガンに賛同したのだ。
「食にまつわるビジネスを展開してるんだから、何か応援できる事があるなら喜んでやりたいんだ。」
「応援できる上に、美味しそうな日本酒やワインがいただけるんだもん、あなたにうってつけよね。」
保奈美は少し意地悪そうな笑顔でそう言うが、彼女もワインを飲みながら出資先を一緒に選ぶのを楽しんでいる。
そんなある日、翼の元に1通の見慣れない封筒が届いた。