東京ネイティブ Vol.4

東京ネイティブ物語:アーティスト・金子ノブアキの場合 〜東京は地方から来た人のエネルギーでまわっている〜

今と違って、下北沢はちゃきちゃきの下町だった

下北沢駅から徒歩5分弱、北沢タウンホールは演劇やライブが行われるホールのほか、区の出先機関も業務を行う世田谷区の複合施設だ。ミュージシャンで俳優としても活動する金子ノブアキさんは、北沢タウンホールを前にして「懐かしいっすねぇ」と感慨深そうにつぶやいた。

北沢タウンホールを見上げながら、金子さんはこう振り返る。

「ここ、僕が子どもの頃は広い公園だったんですよ。夏は盆踊り大会、冬に雪が降ったらここで雪合戦とか。足が速かったんで、鬼ごっことか得意でした」

野性味あふれる風貌から、金子さんは無頼派だというイメージを勝手に抱いていた。けれども本人は、いたって自然体。体のどこにも力が入っていない飄々とした人柄の秘密も、後に明らかになってくる。

話を少年時代に戻そう。

「実家の祖父が葬儀屋で、町内会の会長をやっていたんですよ。だから毎晩、ウチの客間で寄り合い。商店街の方とはみんな知り合いだったんですけど、チャキチャキの下町の人って感じで、おもしろかったですね。ボーッと道を歩いていると、『車が来るから危ないぞ!』なんて怒られたりしてね」

そして北沢タウンホールの向かいにある『DISK UNION』に目を向け、「このレコ屋さんで、いくら使ったかわからないですよ」と、懐かしそうに目を細めた。

少年時代の思い出の場所はもうひとつ、北沢八幡神社だ。

「犬を飼っていたんで、このへんは散歩コースでした。あと、初詣はこの神社だし、実家のお墓もすぐそこなんで、ホント、地元って感じです」

こうして下北沢で幸せな少年時代を送った金子さんは、地元の公立中学に進学する。そして、ここで音楽との出会いが待っていた。

この街では、すぐそこに憧れのミュージシャンがいた

「第一次バンドブームで、みんなモテたくて飛び付いたんですけど、僕はミュージシャンの二世だってこともあって(父はドラマーのジョニー吉長氏、母はヴォーカリストの金子マリ氏)、あまり興味はなかったんです。でも、いざ始めちゃうと血は争えないというか」

当時は、日本のビジュアル系のバンドが人気を博していたけれど、金子さんの興味は洋楽を向いていたという。

「RIZEというバンドで今も一緒にやっているギターとボーカルのジェシーが、インター(ナショナル)の学校だったんですよ。当時は西海岸のバンドに勢いがあって、レイジ(・アゲインスト・ザ・マシーン)がバンと跳ねて、レッチリ(レッド・ホット・チリペッパーズ)は93年とか94年は動いていない感じだったかな。レッチリがまさかあそこから復活するとは思わなかった。あとはグリーン・デイとかのメロコア、ニューヨークならビースティ(・ボーイズ)。でもきっかけはガンズだったかな。東京ドーム公演の上下2巻にわかれているVHSをみんなで見たりしていました」

下北沢は、金子少年が音楽を吸収するのにうってつけの土地だった。

「下北沢SHELTERっていうライブハウスがあるんですけど、デモテープを持って行っても中学生の僕らは出してもらえないんですね。俺たちはもうちょっと小さなハコ。GARAGEというライブハウスもすごく仲良くしてもらいましたよ」

金子さんは話を続ける。

「SHELTERに出ていた先輩がすごくて、ハイスタ(ンダード)、バック・ドロップ・ボム、ザ・マッド・カプセル・マーケッツ……。ライブを見て、たまに打ち上げの隅っこの席に座らせてもらって話を聞いたり」

後に、お酒が飲める年齢になってから通ったのが、ブルースマンの近藤房之助さんがオーナーを務める、BAR STOMPというブルース・バーだ。

「ここで格好いい音をたくさん聞かせてもらいました。こうして振り返ると、音楽をやるには恵まれすぎる環境でしたね」

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