これまでの会食は、美女の過去の雑誌掲載記事を穴があくまで読み込み、その情報を頼りに計画を立ててきたわけですが、
私の速読力を持ってしても、前田敦子との会食の期日までに1000冊以上の雑誌すべてに目を通すことは不可能でした。
呆然自失となった私は大宅文庫を出、入口の階段に腰を下ろして空を見上げました。澄み切った青い空には春の日の雲が気持ちよさそうに浮かんでいました。
その雲を眺めながら私は思いました。
(田舎、帰ろかな)
そもそも東京を代表するお洒落レストラン雑誌『東京カレンダー』で連載を始めたこと自体、愚の極みだったのです。
私が愛知県の片田舎から上京して初めて『東京カレンダー』を手に持ったときは、隣にいた同郷の山本くんに
「次開いたページに『麻布』って単語が何個出とるか、当てん?」
という謎のゲームしていたほど、私と『東京カレンダー』との間には深い溝がありました。
そんな、ナチュラルボーン・カッぺの私が前田敦子を喜ばせるような会食を企画できるはずがないのです。
私は大きく息を吐き、携帯電話を取り出しました。そして、担当編集Hに休載したいという旨を伝えようとした、その瞬間でした。
(そ、そうか――)
私の脳天に、天啓とも呼べる閃きが生まれたのです。そして私は取り出した携帯電話を、担当編集ではなく、同郷の山本くんにつなげました。そして山本くんに向かってこう言ったのです。
「俺、今度、前田敦子と会食することになったがや」
すると電話の向こうで山本くんが叫びました。
「お前、すげーが! すげーことになっとるがや!」
「それで君の知恵を借りたいんだけども、どういう会食にしたら前田敦子を盛り上げられると思う?」
すると山本くんは即答しました。
「前田敦子だったら『フライングゲット』って曲が有名だから、フライとナゲットでええがや!」
天下の前田敦子との会食にファーストフードを提案してきた山本くんの豪胆さに衝撃を受けましたが、このときすでに私は光明を見出していました。
経営の神様・松下幸之助がこんな言葉を残しています。
「一人で知恵出そうとしたらあかん。『衆知』を集めるんや」
そう――前田敦子ほどの国民的有名人であれば、過去の雑誌記事に頼らずとも、周囲の人に聞けばどれだけでもアドバイスがもらえるのです!
そこで私は早速、「前田敦子が喜ぶ会食は何か」という質問をありとあらゆる人たちに投げかけ、衆知を集め始めました。その結果、次のような回答を得ることに成功したのです!
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