婚外恋愛 Vol.11

婚外恋愛:雨降る夜。同じ傘の下で、買い物袋を持ちながら結城と歩く。

前回までのあらすじ

34歳、既婚者の”私”は、妻子持ちの結城に惹かれる一方で、夫である蒼太への愛情との狭間に揺れていた。結城との関係に複雑な気持ちを抱きつつ、かつて住んでいた三田を蒼太と共に訪れる。
結婚当初の思い出に浸る”私“とは対照的に、常に未来を見据える蒼太の気持ちは、子供が欲しい、ということだった。

第10話:月夜の三田にて、今を生きる蒼太とノスタルジーに浸る。

結城さんとの付き合いが始まって、間もなく1年が経つある日の夕方。冬も本番というのに、隅田川のほとりから湿った空気を運んだ風が、私の髪を撫でるように吹いていた。不思議と微熱を含んだようなその風は、やがて雨が降ることを告げているようだった。東岸に本所、西岸に蔵前と駒形の境にかかる厩橋の上から川面を暫く眺めていたが、今も鳴る気配のないiPhoneを片手に蔵前駅方面へヒールをゆっくり進ませた。どこか待つ場所はないかと辺りを見回した先に、オレンジ色に光る看板が視線に入って近寄ってみると、蔵前イタリアン『PINZO(ピンツォ)』と記されたブラックボードが小さな間口の足元に据えてある。少々殺風景にも思える周辺には、喫茶店らしき店はない。しかし、私は迷っていた。



いつしか結城さんと私の会話には、ほんの少しずつお互いの家族の話が出てくるようになった。特に私は結城さんのひとり息子の慎之介君の話を聞くことが好きになっていた。この春、世田谷の私立中学受験に合格して、今はその学校に通うその子に、彼は愛情を注いでいた。結城さんがこの世にいることを、あるいは、何十年後には、この世に“いた”ことを、唯一証明する慎之介君に、私は愛おしさを感じていた。今まで感じてきた感情の中でも、一番奇妙で一番温かい感情だ。

結城さんのひとり息子への愛情表現のひとつが、料理だった。普段から仕事と人付き合いの会食に明け暮れ、家庭を顧みないイメージが社内で定着している結城さんだが、本当の姿は違っていた。毎日の朝ご飯に、週末は3食作ってあげているのだという。私は誰も知ることのない彼の手料理の話を聞くことも好きだった。

そんなある時、結城さんが油麩を使った料理の話をした。油麩とは宮城県北部発祥の麩のことで、小麦粉のタンパク質であるグルテンを棒状に練り上げたのを、植物油で揚げたものだ。当時それを知らなかった私が、何かと訊ねると、今となってはあまり聞くことは無い、結城さんの過去を知る事になった。

結城さんの父親はかつて総合商社で働いていた。その関係で結城さんは、幼少期から中学生の頃まで、家族と共に欧米の国々を転々と暮らしていたらしい。そして彼が15歳の時、一家は日本に帰国することになった。

年の離れた当時11歳の弟と9歳の妹は、父親の仕事の関係で、両親と福岡で住むことになったが、結城さんだけは都内の私立高校へ進学することを選び、ひとり親元を離れた。そんな両親の出生のルーツが、宮城県なのだと言う。海外でたまに作る母親の油麩丼を食べると、自分と日本が繋がっているような感覚がしたんだと言った。



だから、迷っていた。何故なら今夜は結城さんの手料理を食べたいと懇願した私の大きめのバッグの中には、新丸ビル地下で買ってきた油麩が潜んでいるからだ。

Google mapを立ち上げ、近くに喫茶店がないか探す為iPhoneに目をやると、よろしければお席ご案内できますよ、という男性の声が聞こえた。慌てて顔を上げると、清潔な白いシャツに黒いエプロン姿の店員が立っている。

「え・・・っと、1時間くらい待ち合わせに使わせていただくだけでも、いいですか。」

少々気まずい気持ちを押し殺し訊ねると、勿論ですよ、と答えてくれた。

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