池波正太郎、三島由紀夫、永井荷風が愛した3つの麺!

永井荷風・久保田万太郎が愛した麺 『尾張屋』のかしわ南蛮

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尾張屋の看板娘“浅草小町”こと田中すみが、もらったラブレターの使い道を晩年に聞かれて

”蕎麦屋の焚きつけに 使っちゃったわ”

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尾張屋といえば、晩年の永井荷風が毎日通った蕎麦屋として有名だ。いつも13時前の同じ席に陣取り、帽子もコートもとらないまま“かしわ南蛮”を食す。会話は一切なし。気に入らないのかと思えば、毎日くる。
そして、尾張屋の雪隠で倒れた永井荷風はそのまま浅草に現れることなく、鬼籍に入る。

時はもっと遡り、戦前の浅草。当時慶應義塾大学文学部の主任教授であった永井荷風。
彼を敬慕する門下生の久保田万太郎も尾張屋の常連であった。それもそのはず、彼の生家は尾張屋の目の前。
その尾張屋の看板娘田中すみは、非常に美しく“浅草小町”と呼ばれていた。小粋で洗練されたすみに、浅草中の男が競って付け文(ラブレター)を送るが、浅草小町はつれない。

万太郎もすみ会いたさに通い続けるのだが、蕎麦は喉を通らず付け文を置き立ち去るのみ。姪孫である現在の女将が、付け文をどうしたのかと晩年のすみに聞くと、にっこりと「蕎麦屋の焚きつけに使っちゃったわ」。
今昔変わらない、男の悲哀。しかし今も万太郎は、石碑となり尾張屋を見守り続けているのである。

恋を見つめ続けた、尾張屋のかしわ南蛮。二八で江戸前の細打ち。出汁は鰹節のみ。江戸蕎麦の汁は、ピリリと辛いのである。

※本記事に掲載されている価格は、原則として消費税抜きの表示であり、記事配信時点でのものです。

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