TOUGH COOKIES Vol.73

「今日はたくさん甘えちゃお」再会した母の無邪気な一言に、娘が激怒した理由

SUMI

「まずは…抱っこさせてくれない?」

チューブに繋がれた細くて白い腕が、精一杯ルビーへと伸びた――が。

特大の「は?」をもう一度発したルビーが、ふざけんな、と唸った。

「調子に乗んないでよ」
「分かってる。でも、ほら、一回だけでいいから」
「アンタのこと、許したから来たわけじゃないよ」
「分かってるよ」

「でも、本当に一回だけでいいの」と明美がまたルビーに向かって両手を広げた。透けてしまいそうな頼りない腕が、折れそうな手首が、フルフルと震えている。その痛々しさから逃げるように目を逸らしたルビーが、「絶対にいやだ」と呟くと、明美は、その手がぽとりと落として、「やっぱり、だめかぁ」と笑った。

「じゃあさ、次のお願い」

くじけない明美になぜかともみがホッとする。今度は明美に、諦めないで!と声をかけたくなっている。

「アンタ…マジで何なの。ずうずうし過ぎるでしょ」
「ルビーちゃんがここにいるのがうれし過ぎるから」
「……っ。なんなんだよ、もう」

ルビーが、キャスターのついた丸椅子をくるりと体ごと回して、明美に背を向けたけれど、気にする様子もなく続けた。

「ルビーちゃん、小さい時、私のことなんて呼んでくれてたか覚えてるかな?」


微動だにしないルビーをしばらく待って、その背に明美は続けた。

「私が自分のことを、お母さんがね、って言ってたから、それを真似してね。話せるようになってからは、カータン、って呼んでくれてたの。カータン、カータン、って、もう本当に可愛くて、愛おしくって」

黙ったままのルビーがどんな顔をしているのか、ともみからも見えなかった。でもその頃のルビーがどれほど可愛いかったのか、ともみにも見える気がして胸がつまった。

「ずっとそのまま、カータンって呼び続けて欲しかったんだけど、5歳の時に、はじめてお母さんって言ったの。幼稚園で覚えてきたんだと思う。もう舌ったらずなあの“カータン”は聞けないのかぁって、寂しくもなったけど、お母さんって響きに、めちゃくちゃ感動したし、こうやって少しずつお姉さんになっていくんだなぁって嬉しくて。私もお母さんとして成長しなきゃって……」

ほんの一瞬…その笑顔を歪ませた明美が天をあおぎ。なにかを振り切るように続けた。

「でも私が、沢山、沢山、間違えちゃって…ルビーちゃんにお母さんって呼んでもらえる日々を手放してしまった。情けないし、本当に、本当に、取返しのつかないことをした。心から申し訳ないと思ってるし、許してもらえないことだってわかってる」

でも、今日だけ…と絞り出すような声が、切実にルビーへと向かう。

「一度だけでいいの。今日、もう一度だけ――お母さんって呼んでもらえないかな?」

ルビーが6歳の頃、明美は心の病を発症した。自分を裏切った男に似ていく娘を見ればPTSDにより呼吸困難などの発作が起きる可能性があった。命の危険もあるということから母娘は引き離され。以来、共に暮らすことができなくなった。

つまり、お母さんと呼んだのも、呼ばれたのも、わずか1年ほどの間だけ、だったということだ。幼いルビーが、母を諦めたのは一体いつだったのだろう。今更ながら、ともみは息が詰まるほどに苦しくなり、ルビーのその背を見つめることしかできなかった。すると。

「…んな」

ルビーは何かを呟くと、その背を震わせ、大きく息を吐き出した。そして叫びと共に立ち上がった。

「…ふざけんな!」

怒りで椅子が勢いよく滑り、壁にぶつかると派手な音を立てた。

「さっきから自分勝手なのもいい加減にしろよ!」
「…うん」
「アンタのこと、許さないっつってんだろ!!」
「…うん」
「オカアサンなんて、アタシにはいないんだよ!!!」
「わかってる。わかってるの。でもこれが…」

きっと最後だから、と続けるはずだったのだろうか。その言葉を飲み込み明美はまっすぐにともみを見つめた。睨まれてもそらさず、どれくらいたっただろうか。ルビーの嗚咽が聞こえたかと思うと、その影が動き――明美を包み込んだ。

「…わぁ…ルビーちゃん」
「…」
「私の腕じゃ足りないくらい……大きくなったんだね…」
「……」

へへへと眉を下げた明美の笑顔が、ルビーの肩口でぐしゃりと歪み、こらえきれずに涙がこぼれた。2人の嗚咽が重なる。その光景を遮るように、ぬっと、目の前に出されたハンカチに、それがミチの手で、自分も泣いてしまっていたことにともみは気づいた。

「ここから先は、2人きりのほうがいいだろ」

ミチが立ち上がり、ともみもそのあとに続いた。静かに扉を閉め、病室の前の廊下で待つことにした。

「遅すぎる、ってことはないもんだな」

長い足を持て余すように窓際にもたれたミチが、ぼそりと呟いた。けれどともみは、防音の効いた扉からでも漏れ聞こえるほど大きく、子どものように泣き叫び続けるルビーに――2人の再会がもう少しだけでも早かったら…と思わずにはいられなかった。


▶前回:旅先のホテルのスイートルームで明かされた秘密。彼女が捨てられた本当の理由とは

▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱

▶Next:8月4日 火曜更新予定

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良かったね
2026/07/28 06:431

TOUGH COOKIES

SUMI

港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが

その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

心が壊れてしまいそうな夜。
踏み出す勇気が欲しい夜。

そんな夜には、ぜひ
BAR TOUGH COOKIESへ。

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