「大丈夫ですか?」
ルビーの激しさに驚き、少し怯えている様にも見えた明美をともみが気遣うと、明美は童顔をさらに幼くさせ「私もごめんなさい」と頭を下げた。素直な人なのだろう。母と娘の類似点をまた見つけて、ともみは心で微笑ましくなる。
先ほどから明美は、ノンアルのビールにほとんど手をつけていない。半分ほど減った水のグラスに常温のミネラルウォーターを注ぎ足してから、ともみは「2人とも少し落ち着きましょう。次に喋りだすきっかけは私が出しますので」と、しばしの沈黙を提案した。
◆
明美が家を出たのは6歳の時で、8歳から中学を卒業するまで施設で育ったのだと、ともみはルビーから聞いていた。
施設に入った後もしばらくは、ルビーの誕生日やクリスマスなどに明美からの手紙やプレゼントが送られてきていたという。
「施設に入ってからも、たま~にだけど会いに来てたんですよ。でも何か月に一回とか決まってるわけでもないし、誕生日とか行事のある日でもなくて。会いに来るペースのパターンみたいなものがないからワケわかんなかったですね。会ったら会ったで、なんかそそくさと帰っていくし。
小学校の卒業式にも来てたかな。でも近づいてもこないし、ただ遠くから見てるだけなんですよ。私から話しかけに行く理由もないんでほったらかしにしてたら、そのうちにいなくなってる。気まずいなら来なきゃいいのに何しに来たんだよ、って感じ。わけわからな過ぎて、なんかウケるでしょ」
「親ガチャって言葉は大キライだけど、まあアタシもハズレたってことだよねぇ」と、ケタケタと笑ったルビーの次の言葉を、ともみは一生忘れられない気がしている。
「あの女がマジで最悪だったのは、“すぐに迎えに来るからね”って出て行ったってこと。も~めちゃくちゃ悔しくて、恥ずかしくて、情けないけど、バカみたいにそれを信じて待ち続けてきた6歳のルビーが、アタシの中に今もいるんだよね。
でも……もういい加減、その子を楽にしてあげたくてさ。
アタシには母親なんていないし、必要ない。そのお別れというか卒業の儀式的なものを、ともみさんに見届けて欲しいんです。いっそ…お前なんて産むんじゃなかったって言って欲しいもん。そしたら、未練とかバッサリ、ぜーんぶ、切り捨てられそうだから」
そんな決意を、ルビーは宮城から明美を連れて帰ってくる新幹線のデッキから電話で伝えてきた。電波が不安定で時々途切れてしまい、お互いに何度かかけ直しながらの会話となったのだが。
「こんなに電波の悪いとこから話す内容じゃなかったですね、ウケる~」
ルビーはおどけたけれど、何年かぶりに自分を捨てた母親に会い、決着をつけるために一緒に東京に向かうなんて。きっと覚悟していたよりも、ずっと強く――言葉にできない感情がこみ上げているはずで、ともみはうまく返事ができなかった。
「電話しちゃって、すいません」
自分がひどい苦しみの中にいるときでさえ、ルビーは相手を気遣うことを忘れない。そんなルビーに、せめて今夜だけは。
― 誰よりも、何よりも、自分を優先して欲しい。
ともみの脳裏に会ったことのない、6歳のルビーの姿が浮かんだ。そして明美を見据える。
「明美さん、もうこれ以上茶化したりごまかしたりせずに、本当のことを教えてください。6歳のルビーには無理でも、今の…強くて賢い大人になったルビーになら、話せるんじゃないでしょうか?
明美さんは今夜、ルビーの誘いを受け入れてここに来た。それは、ルビーときちんと向き合うためだったのではないのですか?」
ともみは、常に真実が正しいと思わないし、優しいウソもあることも知っている。けれど今夜ここで交わされるべきものは、真実だけでいい。そう願ったともみに、明美は困ったように微笑んだ。
― やっぱり、年齢不詳だな。
幼い子どものような純真さ…とは言い過ぎかもしれないが、明美の瞳にも表情にも濁りが感じられない。わが子を捨てた女という響きが似合わない…とともみが思ったとき、明美は言った。
「ともみさんがうらやましいです」
思いもよらぬ言葉に、え?と反応したともみに、明美の笑みは深くなった。
「先ほどからのお話も態度も、全部正しくて、理性的で。きっとどうにもならない感情に負けるなんてことはないんでしょうね。私もそんな大人になれていたなら、良い母親でいれたでしょうか」
「それは、どういう意味でしょう?」
「ともみさんは、誰に何と言われても、その人と一緒にいるためなら……全てを捨ててもいいと思えるような恋をしたことがありますか?」







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