「ルビーちゃんが、職場に連れてきてくれるなんて、もちろんはじめてだしそれだけですごくうれしいのに、上司の方にも紹介してもらえるなんて」
明美に微笑まれ、ともみは「上司って感じでもないんですけど」と、笑顔を返す。私から一杯ご馳走させてくださいと明美に言われて、ともみはノンアルではない生ビールの小グラスを頂くことにしたけれど、ルビーは飲むつもりはないらしく、無言のままだ。
「何年ぶりに会うかわからない」と、ルビーは言っていた。焦らずゆっくり解きほぐしていこう…と、ともみは明美に、まずはTOUGH COOKIESというバーがどういうコンセプトで作られた店なのかということを説明した。
「1人では壊れそうな夜に、女の子が訪ねる店、ですか。あ~いいなぁ。私が若い頃にも、こんなお店があれば…」
「こんなお店があれば、どうなったと思いますか?」
明美は照れたように、なんでもないです、と首を横に振ってから、あからさまに話題を変えた。
「ここに連れてきてもらえて本当にうれしいけど、でも今日は、たぶん、ルビーちゃんにお別れを言われちゃう日なんですよね」
明美は、ともみからルビーに視線を移してから言った。
「ママ、覚悟してきた。もう二度と会わないって言われる覚悟。だからルビーちゃん、文句も怒りも、何でも全部、ぶつけて欲しい」
「アンタ…何言ってんの?」
唸るように答えたルビーが唇を噛みしめ、明美からは見えないカウンターの下で、その手のひらがぎゅうっと握られていく。尖った爪が手のひらに食い込み血がにじんでしまうのではないかと心配になるほど強く握りこまれたその拳が、微かに震えているのがともみの位置からでも分かった。
「6歳のアタシを置いて家を出たくせに?その後もフラっと現れたかと思ったら、すぐにいなくなって。アタシに最後に会ったのがいつか覚えてんの?今回だって突然見つかったと思ったら、今度は、二度と会わないとか、何?
会うとか会わないとか、それを決めるのはアタシであって、アンタには何の権利もないんだよ!」
ルビーの目は怒りで燃えて今にも爆発しそうなのに、とても悲しく見えた。明美は謝るでもなく、ただ穏やかな笑みを浮かべたままだ。黙り込んでしまったルビーの代わりに、ともみは言葉を引き取る。
「お2人の関係性や歴史を私は詳しくは知りません。でも、ルビーを捨てて家を出た時点で、その後も気ままにほったらかしたのだとしたら、確かに、明美さんにルビーと会うか会わないか決める権利はありませんね。
ルビーが今日ここに、あなたを呼んだのは、ルビー自身が決着をつけるためであって、明美さんがすっきりするためではないんです」
きっぱりと明美を見据えた瞬間、あろうことか、ともみのお腹が鳴ってしまった。ともみはとても恥ずかしくなったが、そういえば今日、いきなり店を開けることになったので、まともにお昼ご飯を食べていなかったと気づく。
「…よかったら…食べません、か?」
明美に、かまぼこと練り物を盛りつけた皿を指さされ、ともみは、穴に入りたいとはこのこと…と気まずくなったが、背に腹は代えられない。いただきます、とまずはかまぼこを口に入れ、ビールも含む。口内に広がっていく白身魚のうまみに満たされながら、もう一つ、エビのすり身だという練り物もお腹に入れると、空腹はようやく落ち着き、ともみは謝ってからもう一度仕切り直した。
「明美さんは、ご自身を恋愛体質だと思いますか?」
「…恋愛体質…どうでしょうか。自分ではよくわからない、というか」
ルビーがフッと鼻で笑い、「恋愛体質なんてかわいいもんじゃないでしょ」と、苛立ちの声で続けた。
「子どもよりも男を選ぶなんて、もう依存でしょ。恋愛依存っていうより、ただの男依存だからね、アンタの場合」
ともみは、明美の反応を待ったが、明美は変らず小さく微笑んだまま、肯定も否定もしなかった。そんな母親にさらに憤りを募らせ、それを必死に抑え込んでいるように見えるルビーも黙ったままで、しばらくの沈黙が続いたあと、ともみは切り出した。
「恋をしなければ死んでしまう、というように、劇的な恋愛体質の人は、世の中に男女問わず一定数いるんだと思います」
思わず大輝の顔を思い浮かべてしまったことに、密かに苦笑いをしながらともみは続けた。
「そういう人は、結婚しても子どもを産んでも…今ルビーが言ったみたいに、依存するように恋愛をやめられないのかもしれませんが、不倫だろうがなんだろうが、自己責任の中で好きにすればいいと、私は基本的に思っています。大人同士が傷つけあうのもお好きにどうぞ、と思います。でもね。
子どもを傷つけるならば、その恋は絶対に違う。特に、まだ幼い子どもを…自分の恋が、無邪気な子どもを不幸にするとわかっていても、自分の欲を優先してやめられないのは、違うと思うんです。
最愛の親に自分より優先する他人ができて、自分は捨てられた。それが、その子の人生にどんな影響を与えるかを考えるだけで、哀しくて恐ろしいです。
そんなものを恋愛だなんて呼んで欲しくもない。ただ、色欲に負けただけ、というか。だから――明美さんとルビーの間にあったことが、そうではなかったことを願います」
まっすぐに明美を見据え直してから、ともみは続けた。
「明美さんは、ルビーが言うように本当に…男性を選んで、幼いルビーを捨てたんですか?」
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