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今夜、罪の味を Vol.6

「好きになれたらいいのに…」何度デートを重ねても年下男子にときめかない28歳女性の本音

有栖川匠

煌々と明るい夜と人混みの中で、ハリーはニコニコと笑っている。

その発音がほんの少しだけたどたどしいのは、彼が外国人───台湾人だからだ。

「わぁ〜。双葉さん、怒ってもきれいです」

「そういうのいいから。てか、なんで待ち合わせいつもここなの?」

「だってそれは、僕のオフィスも家も渋谷です。すぐに、はやく、双葉さんに会えますから。

それに、このワンちゃんとってもかわいいと思いますね。大好きな人、ながいながいあいだ待ってる。ほっておけないです」

「はあ…まあいいんだけど、よくこの人混みの中で私のこと見つけられるよね。そんなことより、早くなんか食べに行こ」

5歳も年下の男の子に真正面から褒められるのが照れ臭くて、私はハリーに会うといつも、つい、こんなふうに憎まれ口を叩いてしまう。

だけどハリーは、そんな私の全くかわいくない態度など気にしない様子で、ひたすら褒めてくれる。

「双葉さんおなかいっぱいにしてあげたいですね〜」

そう言いながら自然な動作で、サッと私の手に持っていた荷物を代わりに持ってくれるのだ。

「自分で持てるから」と遠慮の言葉を口にするのは、2回目のデートでやめた。

あまり頑なに断るとハリーは、ものすごく悲しそうな顔をするから(それこそ、放っておけない子犬みたいに)。

だからハリーにこんなふうに荷物を持ってもらうのは、今日でおそらく11回目になるはずだ。

一回だけ、どういうことだかハリーのルームメイトだというインド人を紹介されたから、2人きりのデートという形でハリーと会うのは、10回目なのかもしれないけれど。


ハリーとの出会いは、マッチングアプリだ。

早紀と向井さんが結婚してすぐの頃、「このままではダメだ」という気持ちで登録だけしていたアプリ。

それをふと何かのきっかけで立ち上げて、何の気なしに右スワイプをしたら、そこにいた。

「台湾から日本に来ました。エンジニアしています。友達がいないですから、インターネットで探します。一緒においしいものを食べたいです」

その頃はたしか、週末を持て余した独身のアラサー女らしく趣味探しに足掻いていて…。

点心作りの料理教室に通っていたから、ハリーのプロフィールの“台湾”の部分に興味を持っただけだったのだと思う。

でも、とにかくそういうわけで、この夏頃から私とハリーは毎週のように一緒においしいものを食べに行く友達になった。

もっとも──本当に“友達”と言えるかどうかは微妙なところなのかもしれない。

ハリーはずっと、私のことを好きだと言ってくれている。

私はずっと、覚悟が決めきれずにはぐらかしてばかりいる。

だけど、ハリーは優しくて、一緒に食べるご飯は美味しくて、そばにいると穏やかな気持ちになれるから…ついついこうして会い続けてしまうのだ。

たとえ、心の中に他の人がいても。

そんな関係を“友情”と呼ぶ人は、きっとあんまりいないと思うから。


そう。ハリーは優しい。

一緒に食べるご飯は美味しくて、そばにいると穏やかな気持ちになれる──はずだった。いつもなら。

でも、今夜だけは違った。

連れていかれたフレンチビストロで、ハリーは何度私の顔を覗き込んだだろう?

「双葉さん、やっぱりおなか空いたじゃないですか?」

「きもちわるいですか?」

「びょうきだったら、双葉さんの家まで送りますから」

自分でも情けなくなるけれど、何度も心配させてしまうほど、今夜の私は食事が喉を通らなかった。

だってそのビストロは─────。

私が渋谷を好きになれない、3つ目の理由そのものだったのだ。



新入社員だった頃。

早紀に「向井さんのことが好き」という秘密を伝えようとしたあの日は、反対に早紀から「向井さんから付き合おうって言われた」と相談を受けた日になった。

実際に2人が付き合いだした日。

当時は直属の上司だった向井さんとサシ飲みをしていたところに、途中から早紀がやってきて、最後は2人で帰る背中を見送った日。

それから、早紀のお腹に命が宿ったと聞かされた日…。

どの日もどの日も、いつだって、舞台はこの店だったのだ。

「俺は本当は、校了後って無性に天ぷら行きたくなるんだけどさぁ。早紀が『夜の揚げ物はもたれるから』って一緒に行ってくれないの。

だから、ビストロなら色々あるだろ?ふたりでこの店きては、俺だけベニエ食べてるってわけ」

そう愚痴を装った惚気を聞かされたのだって、一度や二度のことじゃない。

その度に「私だったら一緒に行けます」という言葉を心の中で飲み込んで、その度に少しずつ、渋谷は苦手な街になっていった。

当時渋谷で一人暮らしをしていた向井さんの部屋は、このビストロのすぐ裏だ。

今は結婚して勝どきに引っ越してしまったのだから、偶然一緒になるわけもない。

天ぷらを一緒に食べる相手だってそもそも探してすらおらず、だからこそ向井さんはこの店に通っていたのだ。早紀と、一緒にいるために。

向井さんと早紀が結婚して3年も経って、心からの幸せを願っている。

だけど、今夜偶然ここに来て…自分でもびっくりするほどの悲しみが、私の胃をあっという間にもたれさせてしまった。

ハリーの頼んだベニエは、たったの一口も食べられなかったのに。

あきらかに様子のおかしい私を気遣って、ハリーはお会計を済ませてくれる。

もう一度渋谷の駅前に戻ってくるまで、私とハリーは一言も言葉を交わさなかった。

この記事へのコメント

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No Name
ハリーが優し過ぎて、うじうじしてる双葉にイライラしてしまいました。いい加減向井への気持ちを切り替えないと。
第一、この男は家庭を顧みない最低夫なんだから。
2025/12/22 05:2620
No Name
向井の身勝手に振り回されない方がいいよ。「早紀なんかよりお前と結婚したかった」とか言われて(この男は言いそう) その気になっちゃダメ。 ハリーが気の毒でウルッときてしまった。双葉も彼の存在を蔑ろにし過ぎた、そういうのダメだよね。
2025/12/22 06:4112Comment Icon1
No Name
こうやって不倫が始まるんだね....
2025/12/22 05:1610
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有栖川匠

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さまざまな感情に飲み込まれそうになる夜にも、東京では美食がそばにいてくれる。

ディナータイムのあとに、自分を甘やかす“罪の味”。

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