別れた恋人と仕事をする。しかもラブストーリーを書く作業を共にする、ということはたぶん脚本家人生でもう二度とないだろう。だからこそ脚本家として見たこともない高みに行けるかもしれない。キョウコにとって、その誘惑は甘美なものだった。けれど。
「友坂くんと一緒に作る世界への好奇心に抗いがたいというか、物書きとしての欲がある。でも…何話も続けていくうちにもしも、私たち2人の過去が重なることがあれば、お互いに苦しくなって書けなくなる時がくるんじゃないかって」
40歳が近付いて初めて知った、恋の喜び。愛される幸せ。別れを選ばざるを得なかった日の絶望すらも忘れたくないと思うほどに、かけがえのない大輝との日々が。
— きっと、あふれ出してしまう。
今日改めてそのことを確信した。だからこのまま仕事を受けていいのかと不安になったのだ。
大輝の唇が、キョウコに言葉を返そうかと動きかけたとき、クラブサンドイッチが運ばれてきた。固めに焼かれたベイクドエッグが特徴的で、グリルチキン、ベーコン、そして色鮮やかなトマトとレタスが、軽くトーストされたパンに挟まれている。たしかこの店のマスターが、ニューヨークのホテルで食べた味を再現したんだったっけ…とキョウコはぼんやりと思い出した。
店員の女性が立ち去り、遠ざかるのを待ってから、大輝は穏やかに、もし…と切り出した。
「キョウコさんがオレをふったことに気まずさみたいなものがあるのなら、もう気にしないでください。オレ、本気で恋した人に捨てられるのって、慣れてるんですよね」
慣れたくはないけど、とおどけた大輝を、違う!と否定しそうになったけれど、キョウコはグッと堪えた。
「もちろん別れたくはなかった。けど、別れることになった。そして今はもう、お互いの日々が進んでいます。そんな中でこの話がきたことは、なんだかとても…運命的な事のようにも感じて。もちろん、キョウコさんと世界に配信される大型作品を作れるということを、脚本家としてのチャンスだと捉えているし、野心がないわけじゃない。でも、それ以上に…」
大輝は一度目を落としてから、キョウコに優しい視線を戻した。ホテルのラウンジに穏やかな採光が満ちる中、吸い込まれてしまいそうな、色素の薄い透明感のある大輝の瞳に見つめられ、キョウコはなぜだか泣きたい気持ちになる。
「オレはむしろ、キョウコさんとの日々を――その想い出をなぞるように物語を作りたい。それができるなら…オレがあなたをいっぱい愛した、痛みを帯びた日々が報われる気がして。だから、挑戦してみたいと思ったんです。
あなたとの日々が本当に大切で、夢みたいに幸せで。そんな時間をくれたあなたに、心から感謝しているから。それを形にできる機会が巡ってくるなんて、脚本家としても、あなたにフラれた男としても…こんなに幸せなことはないです」
— ああ。







この記事へのコメント
年齢いってからの失恋(自分から諦めたにしても)は回復が遅いとも言うし。